Scrapbox で書くこと vs このサイトで書くこと
はじめに
- だいたい何でも箇条書き
について考えをまとめているときに、箇条書きの心地良さを教えてくれる Scrapbox
の魅力を再確認した
- Scrapbox は、個人 / 特定のグループに限定して読み書きするだけではなく、だれでも読めるような設定にすることができる
- じゃあ、このサイトや note
などで Blog なんか書かずに、Scrapbox で書けばいいじゃんということも考えたが、それはちょっと違うかもと感じた
- Scrapbox で書くこと、そして、このサイトでノートを公開するために書くことの違いについて、ちょっと言語化してみたいと思った
このサイトでノートを公開するのはなぜか
- このサイトでノートを公開しているのは、「誰かが読んでくれるかもしれない」というちょっとした承認要求や満足感を利用して、Scrapbox などに書き留めたままにしているメモを整理整頓したいから
- その根源に、「自分が価値を見いだしたものを多くの人に伝えようとして書いたり・話したり・何らかの形で表現することを工夫するのが好き」という私の在り方(being)があるように思う
- この在り方(being)には、
ワークグラム
というツールを使った自己理解のワークに取り組むことで気づいた
- 自分が価値を見いだした何かについて「不特定の多くの人に伝えようとする」ときには、「思考のプロセスを促す」ことを得意とする Scrapbox は、もしかすると、私にとっては使いにくいかもと思った
Scrapbox が得意ではないかも知れないこと
- Scrapbox は頭にふと浮かんで書き出した「思考の断片」を上手に扱うための優れたツールだ
- 「断片」が次々に生み出されたとしても、Scrapbox はそれををストレスなく扱うことに長けているから、思考のプロセスのなかでは、それをわざわざ整理しようとしなくても、ほとんどの場合、全く問題がない
- Scrapbox では、整理されていないままで残されている「思考の断片」が、他の「断片」と自由に・多くの方向性に向かって・動的に繋がることで、「断片」同士のリンクから様々なストーリーが次々に紡ぎ出される
- さて、一緒にプロジェクトに取り組んでいる仲間ではなく、不特定の誰かが Scrapbox のページを読もうとするときには、「思考の断片」が紡ぎだすストーリーに興味を覚えつつも、その多彩さや多義性に戸惑いもあるかも知れない
- たとえば、「思考の断片」たちが紡ぐストーリーは、読み手が「断片」をどのように辿るかに依存していて、書き手が伝えようとしていることとは違うかもしれない
- その違いは、思考を自由に・多くの方向性に向かって・動的に発散させるプロセスとしては大変興味深いのだが、「不特定の多くの人に伝えようとする」ときには、注意も必要となる
- Scrapbox は「思考ツール」であり、不特定の誰かに積極的にリーチして興味や関心を集めようとする「情報発信ツール」としての役割は、あまり得意ではないように思う
Scrapbox で書くこと / このサイトで書くこと
- 以上のことを考えると、Scrapbox で書くこと、そして、このサイトでノートを公開するために書くことの違いについて、次のように言語化できそうだ
- Scrapbox で書くのは、私にとって、頭にふと浮かんだ「思考の断片」を書き留めて、他の「思考の断片」とのリンクさせつつ、より自由に・豊かに・動的に思考を広げつつ、さらに多くの「思考の断片」を生み出すためだ
- このサイトで書くのは、私にとって、Scrapbox で生み出した「思考の断片」のリンクを辿って、それが紡ぎだす多彩で多義的なストーリーの中からこれはと思う1つだけを選び出し、不特定の多くの人にとっても読みやすいように、分かりやすくシンプルに表現するためだ
さいごに
- Scrapbox は「思考ツール」として、このサイトは「情報発信ツール」として、それぞれ、上手に活用しよう