実践形式で学ぶ!量子化学計算の基礎セミナー
概要
🧑🏫 講義① 10:30 〜 12:00
はじめに
学びの手引き
この資料について
- この資料は、講座の開始前および終了後に、じっくりと学習を進めていただけるようにと設計しております
- 講座終了後も可能な限り公開を継続する予定ですが、諸事情により公開場所が変更となる可能性がございます
この講座の進め方
本講座は限られた時間で効率的に学んでいただくため、「量子化学計算の重要なポイント」と「実践的な活用方法」に焦点を当てて解説いたします
🟩 マークの項目について
- これらは発展的な内容を含む応用トピックです
- 初学者の方は最初は飛ばしていただいて構いません
- 今回の講座では時間の都合上、これらの項目はスキップさせていただきます
- ただし、特に興味のある項目についてはご質問いただければ個別に解説いたします
講座では代表的なソフトウェアを使用した「💻 実践デモ」を交えながら、「実際の計算プロセスとワークフロー」を具体的にご紹介します
参加者の皆様とのインタラクティブな学びを重視しています:
- 講座中は Zoom の「Q&A ツール」を通じて、どんな質問やコメントも歓迎いたします
- 講座開始前でも、サイト左側の「コメント」機能から質問を投稿いただけます
- また、過去のセミナーでいただいた「🤔 よくある質問と回答」も参考資料として共有しています
🤔 事前質問・コメント
この講座の到達目標 🎯
- 量子化学計算の基礎的な知識と技術を習得し、実践的な計算に活用できるようになる
- 代表的な量子化学計算ソフトウェア Gaussian の特徴を理解し、基本的な計算手順を実行できるようになる
- 量子化学計算を用いて、有機化合物の構造や物性を予測・解析し、研究開発に活用できるようになる
- 実験前の理論的な事前検証により、研究開発における時間とコストの効率化を実現できるようになる
この講座のタイムスケジュール ⏰
開始 | 終了 | 時間 | 内容 |
---|---|---|---|
10:30 | 12:00 | 90分 | 講義① |
12:00 | 12:45 | 45分 | 🍱昼食 |
12:45 | 14:15 | 90分 | 講義② |
14:15 | 14:30 | 15分 | ☕休憩 |
14:30 | 16:00 | 90分 | 講義③ |
16:00 | 16:30 | 30分 | 🤔質疑 |
16:30 | 🙇終了 |
🧑🏫 講義①
- はじめに
- 量子化学計算の概要
- 量子化学計算の代表的なソフトウェア
🧑🏫 講義②
- 量子化学計算の基礎
- 量子化学計算に基づく構造最適化
🧑🏫 講義③
- 量子化学計算に基づく振動解析
- 量子化学計算に基づく化学反応の解析
- 実践!量子化学計算:エタンの脱水素反応の解析
🤔 補足&質疑
ポイントを絞ってご紹介
- 🟩 量子化学計算の代表的な計算方法
- 🟩 量子化学計算の代表的な基底関数
- 🟩 量子化学計算に基づく遷移状態の解析
- 🟩 量子化学計算に基づく電子励起状態の解析
- 🟩 量子化学計算に基づく溶媒効果の解析
質疑応答
さいごに
参考書
この講座にぴったりの参考書 📘
量子化学計算の基礎を学ぶ 📘
量子化学計算をもっと深く学ぶ 📘
量子化学計算の概要
💻 実演:量子化学計算は手軽に実行できます
- 量子化学計算は、専用のソフトウェアを使用することで、直感的なインターフェースを通じて簡単に実行できます。
- 代表的な量子化学計算ソフトウェア Gaussian とその可視化インターフェース GaussView を使用して、分子構造を構築し計算を実行する様子を実演します。
- マウス操作だけで分子を組み立て、ボタンをクリックするだけで計算を開始できます。
- 計算結果も3次元的に可視化され、直感的に理解することができます。
💻 実演:量子化学計算を体験できる Web アプリ
- Psi4 を量子化学計算エンジンとして採用
- オープンソースの量子化学計算ソフトウェア
- Python から直接利用可能
- 計算レベルは
HF/STO-3G
- 初学者向けの基礎的な計算レベル
- 計算コストが低く、高速に結果が得られる
- 分子構造の入力には SMILES 記法を採用
- 直感的で簡単な文字列による分子表現
- 化学構造を正確に指定可能
- 開発:私(山本)です
- SMILES記法とは?
- 分子の化学構造を 文字列化 して表現する効率的な表記方法
- Simplified Molecular Input Line Entry System の頭文字
- 化学構造を簡潔かつ正確に記述できる国際標準の表記法
- 基本的なルール
- 原子は 元素記号 で表現(例:C, N, O)
- 水素原子は通常 省略
- 化学結合の表記
- 単結合:通常は 省略
- 二重結合:
=
で表記 - 三重結合:
#
で表記
- 分子構造の特殊な表記
- 環構造:対応する原子に同じ数字でラベル付け(例:
C1CCC1
) - 芳香環:小文字の元素記号を使用(例:
c1ccccc1
) - 分岐:括弧
()
を使用して表記
- 環構造:対応する原子に同じ数字でラベル付け(例:
- 詳細な仕様と例については 公式ドキュメント を参照
- 原子は 元素記号 で表現(例:C, N, O)
化合物名 | 化学式 | SMILES |
---|---|---|
メタン | CH4 | C |
アンモニア | NH3 | N |
水 | H2O | O |
二酸化炭素 | CO2 | O=C=O |
窒素 | N2 | N#N |
酸素 | O2 | O=O |
エタン | C2H6 | CC |
エチレン | C2H4 | C=C |
アセチレン | C2H2 | C#C |
ブタン | C4H10 | CCCC |
1,3-ブタジエン | C4H6 | C=CC=C |
1,2-ブタジエン | C4H6 C=C=CC | |
シクロブタン | C4H8 | C1CCC1 |
シクロブタジエン | C4H4 | C1=CC=C1 |
シクロヘキサン | C6H12 | C1CCCCC1 |
シクロヘキセン | C6H10 | C1CCC=CC1 |
1,4-シクロヘキサジエン | C6H8 | C1C=CCC=C1 |
ベンゼン | C6H6 | c1ccccc1 |
量子化学計算を使ってできること
分子の安定構造を高精度に予測
- 量子化学計算により、分子の最も安定な立体構造(最適構造 / 平衡構造)を原子レベルの精度で予測できます。
分子振動の詳細な解析が可能
- 赤外(ラマン)吸収スペクトルや零点振動エネルギーなど、分子の振動に関する様々な物理量を計算できます。
電子励起状態の性質を解明
- UV-Visスペクトルや蛍光特性など、分子の光学的性質を予測できます。
電子状態に基づく多彩な解析
- 分子軌道や電子密度、静電ポテンシャルなど、様々な電子状態解析が可能です。
化学反応経路の探索
- 反応中間体や遷移状態を含む反応経路を、エネルギー的に詳細に予測できます:
🤔 量子化学計算が「できないこと」は?
- 量子化学計算は、一般的に小さな分子系(数個〜十数個の原子からなる分子)の電子状態計算に最も適しています
- 近年の計算機性能の向上と計算手法の発展により、タンパク質などの生体分子のような大規模系でも量子化学計算が可能になってきました
- ただし、このような大規模系では、計算対象の立体構造の準備が重要な課題となります
- 多くの場合、分子動力学シミュレーションを併用して構造サンプリングを行うなど、複数の計算手法を組み合わせたアプローチが必要になります
分子シミュレーション手法の比較
孤立分子系の量子化学計算
固体・表面の電子状態計算
- VASP
- 固体物理学の標準的な商用ソフトウェア
- 高精度な電子状態計算が可能
- Quantum Espresso
- オープンソースの固体電子状態計算プログラム
- 活発なコミュニティによる開発・サポート
- Matlantis
- 第一原理計算のデータを深層学習したニューラルネットワークポテンシャル(NNP)力場を用いた高速計算
- 大規模系の計算に適している
- LAMMPS
- 汎用性の高い分子動力学シミュレーションプログラム
- 固体・界面系の解析に広く利用
生体分子シミュレーション
🤔 化合物が固体状態でも反応予測は可能?
固体状態の化合物を量子化学計算で扱う場合、一般的に「クラスターモデル」というアプローチを用います
- これは、固体の一部分を切り出して、より小さな分子系としてモデル化する手法です
- このアプローチにより、局所的な反応性や電子状態を調べることができます
固体特有の物性(バンド構造やフォノンなど)を解析したい場合は、固体物理分野で広く使われている手法が適しています
- Quantum Espresso などの周期境界条件を考慮した電子状態計算プログラムが有効です
- これらのプログラムは、結晶構造全体の電子状態を正確に記述できます
以下のような場合は、異なるアプローチが必要になります:
- 構造の揺らぎや熱的な効果を考慮したい場合
- 分子の動的な振る舞いを解析したい場合
- このような場合には、 LAMMPS などの分子動力学シミュレーションが適しています
🤔 金属表面などへの吸着性を数値化して算出することは可能?
🤔 ある特定の分子が結晶性を有するのかどうか、計算で予測できますか?
分子の結晶性予測には、主に以下の2つのアプローチがあります:
結晶構造予測ソフトウェアの利用
- Conflex などの専用ソフトウェアを使用することで、効率的に予測が可能です
- 分子力場計算により、多数の候補構造を高速にスクリーニングできます
- 熱力学的安定性や結晶パッキングの評価が可能です
量子化学計算による詳細解析
- Gaussian などの量子化学計算プログラムでも結晶構造の解析が可能です
- CIF ファイルから周期境界条件(PBC)を考慮した計算ができます
- より正確な電子状態や相互作用の評価が可能ですが、計算コストが高くなります
- 一般的な量子化学計算プログラムは周期系の計算に最適化されていないため、専用ソフトウェアと比べて計算効率が劣ります
🤠 力試し Quiz
新薬開発における量子化学計算の適切な活用例について、以下の選択肢から当てはまるものをすべて選んでください。
- 候補化合物の合成経路を検討する際に、重要な素反応の遷移状態エネルギーを計算して、反応の実現可能性を事前に評価したい。
- 候補化合物の電荷分布を解析して、タンパク質との結合部位における相互作用の強さを予測したい。
- 100万個の化合物ライブラリから1000個の有望な候補化合物をスクリーニングしたい。
- 候補化合物の赤外吸収スペクトルを計算し、各ピークに対応する分子振動を同定することで、構造特性を詳細に理解したい。
- 候補化合物の結晶構造を予測したい。
量子化学計算の代表的なソフトウェア
業界標準の Gaussian
量子化学計算の プログラムは数多く存在 しますが、 Gaussian がデファクトスタンダード(事実上の業界標準)として広く認知されています
1970年に John A. Pople 博士(1998年ノーベル化学賞受賞)とその研究グループが最初のバージョン(Gaussian 70)を開発しました
- その後、Pople 博士は ライセンスに関する論争 により、皮肉にも自身が開発した Gaussian の使用を制限されることになりました
プログラム名の由来は、分子軌道を表現する際に使用される ガウス関数(Gaussian function) に基づいています
- ガウス関数:$\exp(-\alpha r^2)$ (計算効率が良い)
- スレーター関数:$\exp(-\gamma r)$ (物理的な描像により近い)
GaussView:ユーザーインターフェース
- GaussView は Gaussian のグラフィカルユーザーインターフェースで、分子構造の作成・編集や計算結果の可視化が直感的に行えます
Gaussian の特徴
幅広いユーザーベース
- 計算化学者だけでなく、実験化学者にも広く普及
- 豊富なユーザーコミュニティによるサポート体制
- オンライン上に充実した情報リソースが存在
安定性と信頼性
- 最新版の Gaussian 16 は長年の実績に基づく堅牢な設計
- エネルギー計算や構造最適化において優れた収束性を実現
- 他のプログラムと比較しても特に構造最適化の性能が高く、山本も他のソフトウェアを使用する際でも構造最適化は Gaussian を選択することがある
ライセンスと利用制限
- 厳格なライセンス方針 により、使用に制限がある場合がある
Gaussian の入力ファイル 📄
- 例:エチレン($\mathsf{C_2H_4}$)の構造最適化
#P HF/6-31G(d) Opt
C2H4
0 1
C 0.00000000 0.65855185 0.00000000
H 0.91494130 1.22519288 0.00000000
H -0.91468738 1.22560572 0.00000000
C 0.00000000 -0.65855185 0.00000000
H -0.91494130 -1.22519288 0.00000000
H 0.91468738 -1.22560572 0.00000000
💻 実演:Gaussian/GaussView による量子化学計算の実行
Gaussian の国内代理店・販売店 🏢
- 分子モデリングソフトウェアの開発・販売を手がける専門企業
- Gaussian のライセンス販売と技術サポートを提供
- 科学技術計算ソフトウェアの総合ディストリビューター
- 豊富な技術サポート体制を整備
- ハイパフォーマンスコンピューティング(HPC)のソリューションを提供
- Gaussian の並列計算環境の構築に強み
無料で使える GAMESS - 高性能な量子化学計算ソフトウェア
- GAMESS(General Atomic and Molecular Electronic Structure System)は、Gaussian に次ぐ規模の利用実績を持つ量子化学計算プログラム
- 主に3つの異なるバージョンが存在:
- アメリカ版(GAMESS-US) - 最も広く使用されている標準的なバージョン
- イギリス版(GAMESS-UK) - 欧州で開発された独自の発展版
- Firefly(旧PC GAMESS) - ロシアで開発された高性能版
歴史的背景と発展
- 共通の起源:1970年代後半、アメリカ・エネルギー省の NRCC(National Resource for Computational Chemistry)プロジェクトで開発
- 発展の経緯:
- 1981年:オリジナル版が GAMESS-US と GAMESS-UK に分岐
- 1997年:Firefly が GAMESS-US をベースに独自開発を開始
現在の開発状況
- 各バージョンは独立した開発グループによって維持・改良
- それぞれが独自の特徴と強みを持つ:
- 計算効率の最適化
- 特殊な計算機能の実装
- 独自のアルゴリズム開発
- 結果として、現在では3つのバージョンは実質的に異なるソフトウェアとして発展
アメリカ版 GAMESS (GAMESS-US) 🇺🇸
公式サイト で配布されている量子化学計算プログラム
アイオワ州立大学の Mark Gordon 研究室 が中心となって開発を継続
主な特徴:
- 学術利用・商用利用ともに完全無償で使用可能
- ソースコードが入手可能で、独自機能の追加が可能
- 最新の計算手法を継続的に実装
- 頻繁なアップデートにより、バージョン管理は更新日付で実施
ライセンスと利用条件:
- オープンソースではないため、プログラムの再配布は禁止
- 研究成果公表時は以下の論文の引用が必要:
G. M. J. Barca, et al., J. Chem. Phys., Vol. 152, 154102 (2020)
- 論文リンク
GAMESS-US の入力ファイル 📄
- エチレン($\mathsf{C_2H_4}$)の構造最適化
$CONTRL
SCFTYP=RHF
RUNTYP=OPTIMIZE
ICHARG=0
MULT=1
COORD=CART
$END
$BASIS
GBASIS=N31 NGAUSS=6 NDFUNC=1
$END
$DATA
C2H4
C1 1
C 6 0.00000000 0.65855185 0.00000000
H 1 0.91494130 1.22519288 0.00000000
H 1 -0.91468738 1.22560572 0.00000000
C 6 0.00000000 -0.65855185 0.00000000
H 1 -0.91494130 -1.22519288 0.00000000
H 1 0.91468738 -1.22560572 0.00000000
$END
この講座の範囲と焦点
- 本講座では主に、量子化学計算ソフトウェアの中で最も広く使用されている Gaussian について解説します
- GAMESS は商用利用でも無償で使えるという大きな利点がありますが、現状では Gaussian と比較すると利用者数は限定的です
- ただし、オープンソースに近い特性を持つため、独自の機能開発が可能という強みがあります
- GAMESS については、3つのバージョンの中で最も代表的なアメリカ版(GAMESS-US)を中心に説明します
- 特に、基本的な計算機能と実践的な利用方法に焦点を当てます
🟩 量子化学計算を実行できるスパコン(スーパーコンピュータ)
以下のスパコン施設では、量子化学計算ソフトウェアを利用することができます:
- 分子科学に特化した学術利用専用のスパコン施設
- Gaussian や GAMESS など主要な量子化学計算ソフトウェアを完備
- 学術利用に加えて産業利用枠も用意
- GPU を活用した高速計算が可能
- 産業利用に特化した計算環境を提供
- 技術サポートも充実
🟩 実演:スパコンを用いたエタノールの量子化学計算
Gaussian や GAMESS を便利に使うための WebMO
- WebMO
- 量子化学計算のための統合 Web インターフェース
- ブラウザーから直感的に量子化学計算を実行可能
- 分子構造の構築から計算結果の可視化まで一貫して操作
主要な量子化学計算パッケージに対応
- 商用ソフトウェア
- Gaussian, Molpro, Q-Chem, VASP など
- オープンソースソフトウェア
- GAMESS, NWChem, ORCA, PSI4, Quantum Espresso など
- 商用ソフトウェア
デモサーバー で機能を体験可能
- アカウント情報
- ユーザー名:
guest
- パスワード:
guest
- ユーザー名:
- 制限事項
- 計算時間は 30秒 まで
- アカウント情報
SMILES 記法による分子構造の入力方法
- メニューから
Lookup
→Import by
→SMILES
を選択 - SMILES 文字列を入力することで分子構造を簡単に指定可能
- メニューから
💻 実演:WebMO を用いたエチレンの量子化学計算
量子化学計算に必要な投資 💰
計算プログラム本体
グラフィカルインターフェース(GUI)
- GaussView(Gaussian 専用の可視化ツール)
- 学術ライセンス:約 16 万円
- 商用ライセンス:約 30 万円
- WebMO
(複数の量子化学計算プログラムに対応)
- Basic エディション:無料(学術・商用とも)
- Pro エディション
- 学術ライセンス:1,200 USD(約 16 万円)
- 商用ライセンス:3,000 USD(約 41 万円)
計算用サーバー(クラウドサービス) 💰
- 仕様:CPU 仮想 8 core、メモリ 16 GB
- コスト:約 17 万円 / 年(月額約 14,000円)
- 特徴:安定した性能、日本国内にサーバーあり
- 仕様:CPU 仮想 8 core、メモリ 32 GB
- コスト:約 1.2 千円 / 日(従量課金制)
- 特徴:必要なときだけ利用可能、世界中にサーバーあり
量子化学計算を始めるための推奨プラン 💰
エントリープラン(試験的利用)
- 構成:GAMESS + WebMO Basic + AWS
- 初期費用:0円(すべて無料ソフトウェア)
- 運用コスト:約 1.2 千円 / 日(使用時のみ)
- 用途:計算手法の検証、小規模な研究プロジェクト
スタンダードプラン(本格的利用)
- 構成:GAMESS + WebMO Pro (商用) + Sakura VPS
- 初期費用:約 41 万円(WebMO Pro ライセンス)
- 運用コスト:約 17 万円 / 年(サーバー費用)
- 用途:継続的な研究開発、複数ユーザーでの共有利用
🤔 GAMESS + WebMO Basic + AWS の具体的なセットアップ方法について
- WebMO の公式サイトに AWS 向けのセットアップガイド
が用意されています
- セットアップの大まかな流れ:
- AWS でインスタンスを作成し、Web サービスが実行できるように設定
- GAMESS をインストールして計算環境を構築
- WebMO Basic をインストールしてインターフェースを設定
- システム要件として、メモリは最低でも 4 GB 以上を推奨
- 分子のサイズや計算の種類によってはさらに多くのメモリが必要
- セットアップの大まかな流れ:
🍱 昼休憩 12:00 〜 12:45
🧑🏫 講義② 12:45 〜 14:15
量子化学計算の基礎
量子化学計算の基本的な手順
量子化学計算を実行するためには、以下の3つの要素を指定する必要があります:
分子の電子状態
- 電荷(正負のイオンの状態)
- スピン多重度(不対電子の状態)
分子の計算レベル
- 計算方法(理論モデル)
- 基底関数(数値計算の精度)
分子の立体構造
- 原子の三次元座標
- 結合の幾何学的配置
分子の電子状態を指定する
電荷(Charge)
- 計算する系全体の総電荷を指定する必要があります
- 電荷は分子の電子状態を特徴づける重要なパラメータです
- 代表的な例:
- 1価の陽イオン(例:$\mathsf{Na}^+$)
- 電荷:+1(電子を1個失った状態)
- 1価の陰イオン(例:$\mathsf{Cl}^-$)
- 電荷:−1(電子を1個獲得した状態)
- イオン対(例:$\mathsf{Na}^+ + \mathsf{Cl}^-$)
- 電荷:0(正負の電荷が打ち消し合う)
- 1価の陽イオン(例:$\mathsf{Na}^+$)
スピン多重度(Multiplicity)
- スピン多重度は、分子中の不対電子の状態を表す重要なパラメータです
- 全スピン角運動量 $S$ から、$2S+1$ として計算されます
- α 電子(スピン上向き ↑)と β 電子(スピン下向き ↓)の個数の差 $2S$
代表的な例
一重項状態(Singlet, $2S+1=1$)
- 不対電子を持たない状態(例:基底状態の $\mathsf{H_2}$)
- 電子配置:↑↓(電子が対になっている)
- 全スピン角運動量:$S=0$
三重項状態(Triplet, $2S+1=3$)
- 不対電子を2個持つ状態(例:励起状態の $\mathsf{H_2}$)
- 電子配置:↑↑(平行スピン)
- 全スピン角運動量:$S=1$
二重項状態(Doublet, $2S+1=2$)
- 不対電子を1個持つ状態(例:$\mathsf{H_2^+}$)
- 電子配置:↑(単一の不対電子)
- 全スピン角運動量:$S=1/2$
電荷とスピン多重度の例
分子の状態 | 中性分子 | カチオン | アニオン | ラジカル | 励起三重項 |
---|---|---|---|---|---|
電荷 | 0 | +1 | -1 | 0 | 0 |
不対電子数 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 |
スピン多重度 | 一重項 (Singlet) | 一重項 (Singlet) | 一重項 (Singlet) | 二重項 (Doublet) | 三重項 (Triplet) |
代表例 | $\mathsf{H_2}$ | $\mathsf{H_2^+}$ | $\mathsf{H_2^-}$ | $\mathsf{CH_3}$ | $\mathsf{O_2}$ |
🤠 クイズ:分子の電荷とスピン多重度
次に示す分子の電荷とスピン多重度について、適切な値を答えてください。
- 基底状態のホルムアルデヒド $\mathsf{CH_2O}$
- 電荷:0
- スピン多重度:Singlet
- 基底状態の酸素分子 $\mathsf{O_2}$
- 電荷:0
- スピン多重度:Triplet
- フェノールアニオン $\mathsf{C_6H_5O^-}$
- 電荷:-1
- スピン多重度:Singlet
- 一酸化窒素 $\mathsf{NO}$
- 電荷:0
- スピン多重度:Doublet
- アンモニウムカチオン $\mathsf{NH_4^+}$
- 電荷:+1
- スピン多重度:Singlet
分子の計算方法を指定する
💻 実演:Gaussian で利用できる様々な計算方法
量子化学計算の様々な計算方法
😐 Hartree-Fock(HF)法
- 最も基本的な量子化学計算手法
- 電子間の相互作用を平均場として扱う近似法
- 計算コストは比較的小さいが、精度は限定的
😀 密度汎関数法(DFT)
- 電子密度に基づく効率的な計算手法
- 精度と計算コストのバランスが良好
- 様々な汎関数(B3LYP, PBE0など)が利用可能
🤓 🟩 Møller-Plesset 摂動法
- 電子相関を摂動として取り入れる手法
- MP2:2次の摂動まで考慮
- MP4:4次の摂動まで考慮
- 計算コストは次数とともに増大
🤓 🟩 結合クラスター法
- 高精度な電子相関計算が可能
- CCSD:1重と2重励起を考慮
- CCSD(T):3重励起も摂動的に考慮
- 計算コストは非常に大きい
🤓 🟩 配置間相互作用法
- CISD:1重と2重励起を考慮
- Full CI:すべての励起を考慮
- 最も厳密な手法だが、計算コストが膨大
Hartree-Fock 法の特徴
- 分子の立体構造や化学的性質について、多くの場合、十分な精度で予測できる
- 分子が最適構造にあるとき、その分子の全エネルギーの値を99%程度の精度で見積もることができる
- しかし、化学反応を議論するためには、99%程度という精度でも不十分であり、より高精度な予測が必要となる
- 化学反応に伴う活性化エネルギー $E_a$ を議論しようとする場合、$E_a$ は 20 kJ/mol 程度(5 kcal/mol 程度) になることが多いので、この程度以下の誤差となることが望ましい
- 電子相関を考慮するように HF 法を拡張し、HF 法以上の計算精度を持つ手法のことを「post Hartree-Fock 法」と呼ぶ
- post HF 法では、HF 法では無視してしまった「電子相関」の効果について、様々な工夫で考慮する
密度汎関数法(DFT:Density Functional Theory)とは?
- 近年、研究開発の最前線で大活躍している計算手法
- 電子密度を試行関数とする多電子状態問題の近似解法
- 電子相関の寄与について、 Hartree-Fock 法とほぼ同程度の計算コストで考慮することができる
- Hartree-Fock 法 などは波動関数を試行関数とする方法であるが、DFT は電子密度を試行関数とする方法であり、その基盤となる考え方が大きく異なっている
- HF 法の基礎は HF 方程式だが、DFTを実践する上で鍵になるのは コーン・シャム(Kohn-Sham; KS)方程式
密度汎関数法で用いる「汎関数」とは?
- DFT の計算精度と信頼性は、電子密度と系のエネルギーを関係付ける汎関数の種類に依存する
- 適切な汎関数を選べば、良い計算精度が得られる
Gaussian で利用できる様々な汎関数
量子化学計算の代表的な計算方法の詳細
詳細については、以下の資料をご覧ください:
🎯 ポイント解説:実践!汎関数の選び方
基本的な GGA 汎関数
- BLYP (Becke-Lee-Yang-Parr)
- PBE(Perdew-Burke-Ernzerhof)
meta GGA 汎関数
- BMK(Boese-Martin functional for Kinetics)
- ミネソタシリーズ(M06 など)
Hartree-Fock の一部と組み合わせた hybrid 型の汎関数
- B3LYP
- 以前は実質上の業界標準(デファクトスタンダード)であるかのように多用
- 長距離電子相関の見積もりが不得意であることが知られるようになった
- 長距離補正を含む「CAM-B3LYP」、分散力補正を含む「B3LYP-D3」などが開発されている
- PBE0
- PBEPBE
- B3LYP
長距離補正を含む汎関数
- CAM-B3LYP
- ωB97シリーズ(ωB97, ωB97-X, ωB97-XD)
- LC-BOP
分散力補正を含む汎関数
- B3LYP-D3
- ωB97X-D
- ミネソタシリーズ(M06-2X, X11 など)
hybrid 交換・相関汎関数 📊
- hybrid 型は、LSDA / GGA / mGGA などの交換汎関数に対して、一定の割合で Hartree-Fock 交換積分 $E_\mathrm{x}^\mathrm{HF}$ を混合した汎関数です。
- 非 hybrid 型と hybrid 型の汎関数ペア(例:BLYP vs B3LYP)について、計算される物性値の平均二乗偏差(RMSD)を比較してみると…
NCD
:分子間相互作用エネルギーID
:異性化エネルギーBH
:反応障壁の高さ
- $E_\mathrm{x}^\mathrm{HF}$ を適度に hybrid することで計算精度が向上
分散力補正 📊
- 標準的な DFT の弱点のひとつは、分散力(van der Waals 相互作用) の記述ができない
- このために、分子集合体における分子間相互作用を過小評価する傾向にある
- Grimme は、分子力場などで用いられるように経験的なパラメータを用いて、各原子対に対する引力的なエネルギー項を付加する分散力補正を提案
- Grimme の分散力補正のあり・なし(例:BLYP と BLYP-D2, BLYP-D3)について、計算される物性値の平均二乗偏差(RMSD)を比較してみると…
NCED
:分子間相互作用エネルギーIE
:異性化エネルギー
- Grimme の分散力補正を加えることで、コストを追加することなく、計算精度を向上させることができる
量子化学計算で用いる様々な基底関数
基底関数とは?
- 量子化学計算では、任意の波動関数 $\Psi$ を有限個の基底関数と呼ばれる既知の関数 ${\phi_i}$ の線形結合で近似します:
$$ \Psi = c_1 \phi_1 + c_2 \phi_2 + … + c_n \phi_n = \sum_i^n c_i \phi_i $$
この式で:
- $\phi_1, \phi_2, …, \phi_n$ は基底関数(数学的な「基底」として機能)
- $c_1, c_2, …, c_n$ は展開係数(波動関数の形を決定する重み係数)
- $n$ は基底関数の数(多いほど精度が向上するが計算コストも増加)
展開係数を変化させることで、様々な波動関数を表現できます
展開係数とは?
- 量子化学計算では、基底関数 ${\phi_n}$ のパラメータを最初に設定し、その後は展開係数 ${c_n}$ の最適化のみを行います
- 具体的には:
- 基底関数 ${\phi_n}$ は計算全体を通して固定
- 展開係数 ${c_n}$ を変化させることで、波動関数の形を最適化
- この最適化により、系のエネルギーが最小になる波動関数を見つけ出します
Gaussian で利用できる様々な基底関数
量子化学計算の代表的な基底関数の詳細
詳細については、以下の資料をご覧ください:
🎯 ポイント解説:実践!基底関数の選び方
基底関数の選択は以下の要因を考慮して慎重に行う必要があります:
- 対象とする分子系:分子の大きさ、含まれる元素、電子状態など
- 計算の目的:求めたい物性値(エネルギー、構造、電子状態など)
- 使用する計算手法:HF法、DFT、MP2法など
基底関数の選択における重要な考慮点:
- 基底関数の数を増やすと、より正確な電子分布の記述が可能になり、計算精度が向上
- しかし同時に、必要な計算リソース(メモリ、CPU時間)も増大し、計算コストが上昇
- そのため、研究の目的や利用可能な計算リソースに応じて、精度とコストの最適なバランスを見つける必要がある
代表的な基底関数:Pople 系
- 例
3-21G
/6-31G
/6-311G
- 計算精度の比較
3-21G
<6-31G
<6-311G
- John A. Pople (1998年ノーベル化学賞受賞)らが提案した基底関数系
- 一般的な有機化合物に対しては、基盤となる 6-31G に 分極関数 を加えた 6-31G(d) や 6-31G(d,p) などが、計算効率が良い・実用的な精度をもつ基底関数としてよく用いられている
分極関数とは?
- 分子の複雑な構造を適切に記述したい場合には、各原子上に配置した基底関数に 分極関数(polarization function) を追加することで、電子分布が柔軟に変形する自由度を与えることができる
分極関数(d 型関数)
- p 軌道をもつ水素以外の原子に対しては、d 型の関数を追加する
分極関数(p 型関数)
- 球対称な s 軌道のみを持つ水素原子に対しては、p 型の関数を追加する
分極関数の表記方法 / 指定方法
- Pople 系に対して、分子内にある水素以外の原子に分極関数を追加する場合
3-21G(d)
or3-21G*
6-31G(d)
or6-31G*
- Pople 系に対して、水素以外の原子に分極関数を追加した上で、水素原子にも分極関数を追加する場合
3-21G(d,p)
or3-21G**
6-31G(d,p)
or6-31G**
Gaussian で分極関数を追加するには
分散関数とは?
- 負電荷を帯びた分子は、中性分子と比較して、電子分布が広がっている場合がある
- このような場合、物性諸量を正しく見積もるためには、電子分布の広がりを記述するために 分散関数(diffuse function) を加えることができる
分散関数の表記方法 / 指定方法
- Pople 系に対して、分子内にある水素以外の原子に分散関数を追加する場合
3-21+G(d)
or3-21+G*
6-31+G(d)
or6-31+G*
- Pople 系に対して、水素以外の原子に分散関数を追加した上で、水素原子にも分散関数を追加する場合
3-21++G(d,p)
6-31++(d,p)
Gaussian で分散関数を追加するには
量子化学計算の表記法
- 量子化学計算では、計算方法と基底関数の組み合わせをスラッシュ(
/
)で区切って表記します - 例:
B3LYP/6-31G(d)
- 密度汎関数法の B3LYP と分割基底系の 6-31G(d) の組み合わせMP2/cc-pVDZ
- MP2 法と相関基底系の cc-pVDZ の組み合わせ
👍 結論:オススメの計算手法と基底関数
一般的な有機化合物の基底状態の物性を調べようとする場合、まずは B3LYP/6-31G(d) や B3LYP/6-31G(d,p) を使うことが多いです:
- 原子間の結合距離を定量的に議論するには、最低でも double zeta 精度(
6-31G
)が必要です - 原子間の結合角度を定量的に議論するには、分極関数(
6-31G(d)
)が必要です - より高精度な結果が必要な場合は、triple zeta 精度(
6-311G
)や分散関数(6-31+G
)の使用を検討します
- 原子間の結合距離を定量的に議論するには、最低でも double zeta 精度(
計算コストと精度のバランスを考慮すると:
- 初期の構造最適化計算には B3LYP/6-31G(d) が適しています
- 最終的なエネルギー計算には B3LYP/6-311+G(d,p) などの より大きな基底関数を使用することをお勧めします
量子化学計算に基づく構造最適化
💻 実演:Gaussian を用いた水分子の安定構造の探索
- 水分子の構造最適化の過程を視覚的に理解するため:
- 初期構造として、HOH 結合角を 150° に設定(平衡構造の約 105° から大きく歪ませた状態)
- 最適化計算により、徐々に安定な構造へと収束する様子を観察
分子の安定構造の探索
- 分子の安定構造を見つけるには、各原子核に働く力(エネルギー勾配 $\frac{\partial E}{\partial Q}$)を利用します:
- エネルギー勾配の方向に沿って原子の位置を少しずつ変化させる($x_\mathrm{new} = x_\mathrm{old} - \alpha \frac{\partial E}{\partial Q}$)
- この過程で分子はより安定な状態へと移行し、エネルギーが低下します($E(x_\mathrm{new}) < E(x_\mathrm{old})$)
- 水分子モデルの場合
構造最適化のプロセスの特徴
- 原子配置を徐々に調整することで、分子の立体構造を半自動的に最適化
- 現代の量子化学計算プログラムでは、単純な勾配降下法を超えた高効率なアルゴリズムを採用
- 例えば、Gaussian プログラムはGEDIIS(Geometry optimization using Energy-represented Direct Inversion in the Iterative Subspace)という洗練された手法をデフォルトで使用
計算例:水分子の構造最適化
構造最適化の注意点
計算レベルの選択
- 高精度の計算方法(例:CCSD(T))と大きな基底関数セット(例:cc-pVTZ)を使用すると、より正確な結果が得られます
- ただし、計算コストは大幅に増加するため、系の大きさと必要な精度のバランスを考慮する必要があります
- 多くの場合、DFT法と中程度の基底関数セット(例:B3LYP/6-31G(d))が良い妥協点となります
- 複雑な系の場合、最初に、半経験的な量子化学計算(例:AM1)を行い、その結果を初期構造として用いることもオススメです
初期構造の重要性
- 異なる初期構造から出発すると、異なる局所最小点に到達する可能性があります
- これは特に、複数の安定構造(コンフォメーション)を持つ分子で重要です
- 系統的な初期構造探索や、化学的直感に基づく適切な初期構造の選択が重要です
収束性の確認
- エネルギーや構造パラメータの変化が十分小さくなるまで最適化を継続する必要があります
- 振動解析により、得られた構造が真の最小点であることを確認することが推奨されます
分子の初期配置を指定する(ブタンの場合)
高度な構造最適化テクニック
- 遷移状態の最適化: 化学反応の遷移状態を見つけるための特殊な最適化手法
- 拘束付き最適化: 特定の構造パラメータを固定して最適化を行う方法
- PES(ポテンシャルエネルギー表面)スキャン: 特定の構造パラメータを系統的に変化させて、エネルギー曲面を探索する方法
💻 実演:PES スキャン計算
量子化学計算に基づく振動解析
分子振動とは?
分子振動は、分子内の原子が周期的に運動する現象です。分子の構造や化学結合の性質を反映する重要な特徴の一つです。
例えば、水分子($\mathrm{H_2O}$)には以下の3つの基本的な振動モードがあります:
- 変角振動:H-O-H の結合角が周期的に変化する振動
- 対称伸縮振動:2つの O-H 結合が同位相で伸縮する振動
- 逆対称伸縮振動:2つの O-H 結合が逆位相で伸縮する振動
振動解析とは?
振動解析は量子化学計算における重要な解析手法で、以下のような情報を得ることができます:
分子の振動特性:
- 分子固有の振動数の理論的な計算
- 各振動モードに対する赤外吸収強度の予測
- 各振動モードのラマン散乱強度の計算
スペクトル解析への応用:
- 実験で得られた赤外吸収スペクトルの帰属
- ラマンスペクトルの解釈の補助
熱力学的性質の評価:
- 振動状態に基づく分子の熱力学的パラメータ(内部エネルギー、エントロピー、自由エネルギーなど)の計算
- 特定の温度における熱力学量の定量的な予測
構造の性質判定:
- 最適化された構造が「安定な平衡構造」か「遷移状態」かの判別
- 振動の実数/虚数周波数による構造の特徴づけ
赤外吸収スペクトル 📈 とは?
振動解析の計算手順
振動解析は以下の手順で実行します:
構造最適化の実行
- 対象分子の安定構造を理論的に探索
- エネルギー極小構造を得る
振動解析の実行
- 構造最適化と同じ計算レベル(基底関数系・計算方法)を使用
- 得られた構造における力の定数行列(Hessian)を計算
- 基準振動モードと振動数を求める
結果の確認
- すべての振動数が実数であることを確認(虚数振動がないこと)
- 並進・回転に対応する振動数がゼロに近いことを確認
💻 実演:Gaussian を用いた水分子の振動解析
計算例:水分子の振動解析
振動解析に基づく熱力学量の計算
振動解析の結果を用いて、分子の熱力学的性質を理論的に見積もることができます:
基本的な考え方:
- 分子の振動状態に基づいて、電子状態エネルギーに対する熱力学的補正を計算
- 特に低振動数モードが熱力学補正に大きく寄与
- 柔軟な分子では構造揺らぎにより誤差が生じる可能性あり
計算可能な熱力学量:
ゼロ点エネルギー補正(Zero Point Energy, ZPE) $$ E_0 = E + \mathrm{ZPE} $$
全エネルギー補正 $$ E_\mathsf{total} = E_0 + E_\mathsf{並進} + E_\mathsf{回転} + E_\mathsf{振動} $$
エンタルピー補正 $$ H = E_\mathsf{total} + k_\mathrm{B} T $$
Gibbs自由エネルギー補正 $$ G = H - T S_\mathsf{total} $$ ここで、全エントロピーは以下の和として表されます: $$ S_\mathsf{total} = S_\mathsf{並進} + S_\mathsf{回転} + S_\mathsf{振動} + S_\mathsf{電子} $$
Gaussian で熱力学量を調べる
Gaussian の出力ファイルには、振動解析に基づく熱力学量の計算結果が含まれています:
- 温度と圧力の条件:
- デフォルトでは、標準状態(298.15 K, 1 atm)を仮定
- 主な計算結果:
- 零点振動エネルギー(Zero-point correction)
- 熱エネルギー補正(Thermal correction to Energy)
- エンタルピー補正(Thermal correction to Enthalpy)
- Gibbs自由エネルギー補正(Thermal correction to Gibbs Free Energy)
🤔 製剤開発における振動解析の応用事例はありますか?
振動分光法は、製剤開発における重要な分析手法の一つとして広く活用されています:
- 結晶多形の同定と定量分析
- 製造工程における品質管理
- 安定性試験における構造変化のモニタリング
- 原薬-添加剤間の相互作用の評価
🎈 応用事例:振動スペクトルによる結晶多形の識別
- HPBI(2-(2’-hydroxyphenyl)benzimidazole)分子の結晶多形解析
- α型とβ型の2つの結晶形が存在
- 分子内水素結合の有無により、3000〜3500 cm⁻¹ 領域の振動スペクトルに顕著な違い
- α型:シャープなバンド
- β型:ブロードなバンド
- 振動スペクトルにより、結晶多形を容易に識別可能
🟩 分子振動の非調和性
- MP2/cc-pVTZ レベルでの水分子の振動解析の例:
計算結果から以下のことが分かります:
- MP2摂動法を用いることで、実験値との良い一致が得られます
- ただし、高波数領域の振動モード(特に対称伸縮と逆対称伸縮)では、なお顕著な誤差が残ります
- この誤差は、分子振動を
調和振動子
として扱う「調和近似」の限界に起因します
- 実際の分子振動は非調和性を持つため、より高度な取り扱いが必要になります
🟩 スケーリング因子による補正
- 分子振動の非調和性を簡便に補正する方法として、計算された振動数にスケーリング因子を乗じる手法があります
- スケーリング因子は、計算手法と基底関数の組み合わせごとに最適化された値が提供されています
- 詳細なデータは NIST CCCBDB で参照できます
- 代表的な例:
HF/6-31G(d)
→ 0.903B3LYP/6-31G(d,p)
→ 0.961
- この補正により、実験値との一致が大幅に改善されます
🟩 非調和振動数解析
- 分子振動をより高精度に解析するためには、調和近似を超えた取り扱いが必要になります
- 非調和性を考慮した振動解析の手法として、Vibrational Self-Consistent Field (VSCF) 法があります
- この手法は、ポテンシャルエネルギー曲面の非調和性を直接考慮することができます
- GAMESS などの量子化学計算プログラムで利用可能です( 詳細はこちら )
- VSCF法を用いることで、以下のような利点が得られます:
- 高波数領域の振動モードの精度が向上
- 振動モード間のカップリング効果を考慮可能
- より現実的な振動エネルギー準位の予測が可能
☕ 休憩 14:15 〜 14:30
🧑🏫 講義③ 14:30 〜 16:00
量子化学計算に基づく化学反応の基本的な解析
🎈 応用事例:トマトの赤色色素リコピンの異性化反応
- リコピンは、トマトに含まれる赤色のカロテノイド色素です
- 生体内での吸収性を高めるために、all-trans体から cis体への異性化が重要です
- 量子化学計算により、以下の知見が得られました:
- 異性化反応の活性化エネルギーの算出
- 反応経路の詳細な解析
- 異性化を促進する条件の予測
💻 実演:Gaussian を用いた Diels-Alder 反応の解析
- Diels-Alder 反応は、ジエンとジエノフィルが環状付加する重要な有機合成反応です
- Gaussian を用いて以下の解析が可能です:
- 反応経路に沿った構造変化の可視化
- 遷移状態の特定と活性化エネルギーの算出
- 反応の立体選択性の予測
🤔 量子化学計算による実験の予測と支援
量子化学計算により、化学反応の重要な特性を予測できます:
反応速度の予測
- 活性化エネルギー(反応障壁)の計算
- アレニウス則や遷移状態理論による反応速度定数の理論的予測
反応平衡の予測
- 反応物と生成物間のエネルギー差(反応エンタルピー)の計算
- ボルツマン分布則による平衡状態での物質分布の予測
これらの予測により、実験条件の最適化や反応機構の理解が可能になります
💡 実践!量子化学計算:エタンの脱水素反応の解析
背景
エタンの脱水素反応(C₂H₆ → C₂H₄ + H₂)は、プラスチックや合成材料の基礎原料として極めて重要なエチレンを生成する工業的に重要な反応です。
従来の熱脱水素反応プロセスでは、高温条件下でエタンから水素を除去してエチレンを生成します。しかし、この方法は:
- 大きなエネルギー消費を必要とする
- 製造コストが高い
- 環境負荷が大きい
そのため、より効率的な触媒や反応条件の開発が活発に研究されています。
量子化学計算は、このような反応の理解と改善に強力なツールとなります。具体的には:
- 反応経路のエネルギープロファイルの詳細な解析
- 触媒効果の理論的予測
- 反応メカニズムの分子レベルでの解明
実践:反応解析の手順
STEP 1:構造最適化計算
各化学種について、エネルギー的に最も安定な構造を求めます:
- 反応物:エタン(C₂H₆)
- 生成物:エチレン(C₂H₄)と水素分子(H₂)
STEP 2:実験データとの比較検証
- 実験で得られた反応性データと計算結果を比較することで、計算モデルの妥当性を検証してみます。
STEP 3:熱力学的補正
より正確な検証のために、振動解析の結果に基づいて、エネルギーの熱力学的な補正を行います。これにより:
- 実験値との定量的な比較が可能に
- より現実的な反応条件での予測が可能に
- 反応メカニズムの理論的な裏付けが得られる
🤔 補足&質疑 16:00 〜 16:30
🟩 量子化学計算の代表的な計算方法
Hartree-Fock 法とは?
シュレディンガー方程式
$$ \left[ -\frac{1}{2} \sum_i^n \nabla_i^2 + \sum_i^n v(r_i) + \sum_{i}^n \sum_{j > i}^n \frac{1}{\left| r_{i} - r_{j} \right|} \right] \Psi = E \Psi $$
シュレディンガー方程式の各項の物理的意味:
第1項の $-\frac{1}{2} \sum_i^n \nabla_i^2$ は、電子の運動エネルギー項
第2項の $v(r_i)$ は、原子核からの静電ポテンシャル $$ v(r_i) = -\sum_a^{N_\mathbf{nuclei}} \frac{Z_a}{|R_a - r_i|} $$
- $Z_a$ は原子核の電荷
- $R_a$ は原子核の位置
- $r_i$ は電子の位置
第3項の $\frac{1}{|r_{i}-r_{j}|}$ は、電子間クーロン相互作用(電子相関) を表す
- 各電子は他のすべての電子との相互作用を感じながら運動する(多電子系)
- この相互作用の厳密な取り扱いは計算量が膨大になるため、実用的な計算では何らかの近似が必要
Hartree-Fock (HF) 方程式
- 量子化学計算の出発点となる最も基本的な近似手法
- 多電子系の問題を単純化するため、「ある電子は、他の電子が作る平均的な場の中で独立に運動している」という描像(一電子近似)を採用
- この近似により、複雑な多体問題を扱いやすい一電子問題に帰着させることができる
$$ \left[ -\frac{1}{2} \nabla_i^2 + v(r_i) + V_i^{\mathrm HF} \right] \psi_i = \epsilon_i \psi_i $$
- 上式は Hartree-Fock 方程式と呼ばれ、各項は以下の物理的意味を持ちます:
- $-\frac{1}{2} \nabla_i^2$:電子の運動エネルギー
- $v(r_i)$:原子核からの静電ポテンシャル
- $V_i^{\mathrm HF}$:他の電子($j \neq i$)が作る「平均場」による反発エネルギー
- $\epsilon_i$:一電子エネルギー
- $\psi_i$:一電子波動関数(分子軌道)
HF 法の計算例(He 原子の場合)
ステップ 1️⃣:初期設定
- 対象とする分子系のハミルトニアンと初期の参照軌道を設定します
ヘリウム原子のハミルトニアン: $$ \hat{H} = -\frac{1}{2} \nabla_1^2 -\frac{1}{2} \nabla_2^2 - \frac{2}{r_1} - \frac{2}{r_2} + \frac{1}{r_{12}} $$
初期の参照軌道(スピン関数を含む): $$ \Psi^{0}(\xi_1,\xi_2)=\frac{1}{\sqrt{2}}\left[ \alpha(s_1)\beta(s_2) - \alpha(s_2)\beta(s_1)\right]\psi^{0}(r_1)\psi^{0}(r_2) $$
初期の空間軌道 $\psi^0(r_1)$ と $\psi^0(r_2)$ は、拡張 Hückel 法などの近似的な方法で見積もります
ステップ 2️⃣:電子①の計算
- 電子②が作る平均場中での電子①の HF 方程式を解きます
$$ \left[-\frac{1}{2}\nabla_1^2 - \frac{2}{r_1} + \int d r_2 ; |\psi^0(r_2)|^2 , \frac{1}{r_{12}}\right]\psi(r_1)=\epsilon_1 \psi(r_1) $$
ステップ 3️⃣:電子②の計算
- 電子①が作る平均場中での電子②の HF 方程式を解きます
$$ \left[-\frac{1}{2}\nabla_2^2 - \frac{2}{r_2} + \int d r_1 ; |\psi^0(r_1)|^2 , \frac{1}{r_{12}}\right]\psi(r_2)=\epsilon_2 \psi(r_2) $$
ステップ 4️⃣:エネルギー計算と収束判定
- 得られた軌道エネルギー $\epsilon_i$ と一電子軌道 $\psi(r_i)$ から全電子エネルギー $E$ を計算します
- エネルギー収束判定:
- 新旧のエネルギー差 $\Delta E = |E_\mathrm{new} - E_\mathrm{old}|$ を計算
- $\Delta E$ が閾値より小さい → 計算終了
- $\Delta E$ が閾値より大きい → 新しい軌道 $\Psi_\mathrm{new}$ を使ってステップ2から再計算
Hartree-Fock 法の特徴と限界
分子構造と基本的性質の予測
- 分子の立体構造や基本的な化学的性質を、多くの場合、十分な精度で予測可能
- 最適化された分子構造における全エネルギーを99%程度の精度で計算できる
化学反応の記述における課題
- 99%という高精度に見えても、化学反応の詳細な解析には不十分
- 典型的な活性化エネルギー $E_a$ は 20 kJ/mol(約5 kcal/mol) 程度
- 化学反応の正確な予測には、活性化エネルギーの誤差をこれより十分小さくする必要がある
より高精度な計算手法への発展
- HF法を拡張した「post Hartree-Fock 法」が開発されている
- これらの手法は、HF法で近似的に扱われていた「電子相関」を
- より厳密に考慮
- 様々な理論的アプローチで補正
- 結果として、化学反応の定量的な解析が可能に
🤠 力試し Quiz
Hartree-Fock (HF) 法に関する以下の記述について、正しいものをすべて選んでください。
- HF 法では、各電子が他の電子の作る平均場の中で独立に運動するという近似を用いています。この平均場近似により、電子間の瞬時の相互作用は平均化されて扱われます。
- HF 法は、電子間の量子力学的な相互作用である「電子相関」を高精度に考慮できる計算手法です。
- HF 法は、分子の基本的な性質(立体構造や電子状態など)を予測する上で、実用的な精度を持っています。例えば、全電子エネルギーは99%程度の精度で計算することができます。
- HF 法は、化学反応の活性化エネルギーの値(反応障壁の高さ)を定量的に議論するのに十分な精度を持っています。
電子相関とは?
- Hartree-Fock 法では、電子同士の瞬時の相互作用(電子相関)を平均化して扱う近似(平均場近似)を採用しています
- この近似により計算は単純化されますが、電子の動きの相関が失われてしまいます
- 電子相関の大きさを定量的に評価する指標として「電子相関エネルギー」($\Delta E_\mathrm{corr}$)が用いられます
- これは、シュレディンガー方程式の厳密解($E_\mathrm{exact}$)と HF 計算で得られる値($E_\mathrm{HF}$)との差として定義されます: $\Delta E_\mathrm{corr} = E_\mathrm{exact} - E_\mathrm{HF}$
- この値が大きいほど、平均場近似による誤差が大きいことを意味します
電子相関の具体例
- 水分子(H₂O)の場合、動的電子相関エネルギーは 約140 kcal/mol と非常に大きな値になります
- この電子相関エネルギーの誤差は、より高度な計算手法を用いることで大幅に低減できます:
- MP2(二次のMøller-Plesset摂動法) では誤差を 約8 kcal/mol まで低減
- CCSD(T)(結合クラスター法) では誤差を 1 kcal/mol 未満 に抑制
- この精度レベルであれば、化学反応の活性化エネルギー(典型的に5-20 kcal/mol)を定量的に議論することが可能です
電子相関を考慮する計算方法
密度汎関数法(DFT)
- 電子密度を基にした計算手法で、比較的低コストで電子相関を考慮できる
- 多くの実用的な計算で広く使用されている
- 詳細は後述
🟩 Møller-Plesset 摂動法
- 二次の Møller-Plesset 摂動法(MP2)は、電子相関の効果を効率的に取り入れる手法
- 計算コストと精度のバランスが良く、中規模分子系に適している
- 特に生体分子など大規模系の電子相関補正に広く利用
- より高次の摂動(MP3, MP4など)も可能だが、計算コストが急激に増加
🟩 結合クラスター法
- CCSD(T) (Coupled-Cluster Singles, Doubles, and perturbative Triples) は、最も信頼性の高い計算手法の一つ
- 化学反応の活性化エネルギーなど、高精度な予測が必要な場合に使用
- 特徴:
- 系統的に改善可能な理論体系
- 化学的精度(1 kcal/mol以下)の計算が可能
- 計算コストが非常に高い(分子サイズに応じて急激に増加)
密度汎関数法(DFT:Density Functional Theory)とは?
- 量子化学計算の分野で最も広く使われている計算手法の一つ
- 電子の分布(電子密度)を基に、多電子系の電子状態を効率的に計算する方法
DFT の主な特徴:
- 計算効率が良い
- Hartree-Fock 法と同程度の計算コストで、電子相関効果を考慮できる
- 実用的な精度
- 多くの化学系で、実験値とよく一致する結果が得られる
- 理論的な特徴
- 従来の波動関数ベースの方法と異なり、電子密度を基本変数として使用
- 計算の中心となるのは、コーン・シャム(Kohn-Sham; KS)方程式
- 1998年のノーベル化学賞の対象となった理論的枠組み
- 計算効率が良い
Kohn-Sham 方程式とは?
Hartree-Fock 方程式
$$ \left[ -\frac{1}{2} \nabla_i^2 + v(r_i) + V_i^\mathrm{HF} \right] \psi_i = \epsilon_i \psi_i $$
- 第3項の $V^\mathrm{HF}$ は「他の電子から受ける平均的な反発エネルギー」を表します
- この方程式は、「ある電子が、他の全電子が作る平均場の中を独立に運動している」という描像に基づいています
Kohn-Sham 方程式
$$ \left[ -\frac{1}{2} \nabla_i^2 + v(r_i) + V_i^\mathrm{eff} \right] \psi_i = \epsilon_i \psi_i $$
第3項の $V^\mathrm{eff}$ は「有効ポテンシャル」と呼ばれ、以下の2つの項から構成されます:
- $V^\mathrm{eff} = J + V_\mathrm{xc}$
- $J$:電子間の古典的なクーロン相互作用
- $V_\mathrm{xc}$:交換相関ポテンシャル(非古典的な相互作用を表す)
- $V^\mathrm{eff} = J + V_\mathrm{xc}$
Kohn-Sham 方程式の革新的なアイデア:
- 相互作用のない仮想的な電子系(Kohn-Sham 系)を考える(中央)
- この仮想系に対して有効ポテンシャル $V^\mathrm{eff}$ を導入する(右)
- このポテンシャルを適切に選ぶことで、実際の相互作用する系と同じ電子密度が得られる
- これにより、多体問題を単体問題に帰着させることができる
Hartree-Fock 法と DFT 法(Kohn-Sham 法)の違い
Hartree-Fock 方程式と Kohn-Sham 方程式(DFT 法)の主な違いは、電子間相互作用の扱い方にあります:
- Hartree-Fock 法:平均場ポテンシャル $V^\mathrm{HF}$ を使用
- DFT 法:有効ポテンシャル $V^\mathrm{eff}$ を使用
計算効率の観点から見ると:
- 両方程式は数学的に類似した形をしているため、同程度の計算時間で解くことができます
- これが DFT 法が広く普及している理由の一つです
理論的な観点から見ると:
- Hartree-Fock 法の $V^\mathrm{HF}$ は厳密に定義された既知の関数です
- DFT 法の交換相関ポテンシャル $V_\mathrm{xc}$ は、厳密な形が不明な未知の関数です
- そのため、近似的な汎関数を使用する必要があります
- この近似汎関数の選択が DFT 計算の精度を大きく左右します
密度汎関数法で用いる「汎関数」
- 密度汎関数理論(DFT)における重要な要素は、電子密度と系のエネルギーを関係付ける汎関数の選択です
- 汎関数の選択は計算精度と信頼性に大きく影響します:
- 適切な汎関数を選択することで、高精度な計算結果が得られます
- 系の性質や計算目的に応じて、最適な汎関数を選ぶ必要があります
Gaussian で利用できる様々な汎関数
- Gaussian では、数多くの汎関数が実装されており、用途に応じて適切に使い分けることができます:
- 基本的な局所密度近似(LDA)から高精度なハイブリッド汎関数まで
- 分散力補正や長距離補正など、様々な機能を持つ汎関数が利用可能
交換・相関汎関数の分類
局所スピン密度近似(LSDA)型
- 電子密度 $\rho$ のみに依存する最も単純な汎関数
- 均一電子ガスモデルに基づく近似
- 計算コストは低いが精度も限定的
一般化勾配近似(GGA)型
- LSDA を電子密度勾配 $\nabla \rho$ で補正した汎関数
- 電子密度の空間変化を考慮することで精度が向上
- PBE や BLYP などが代表的
meta GGA 型
- GGA をさらに運動エネルギー密度 $\tau$ で補正した汎関数
- より詳細な電子状態の記述が可能
- TPSS や M06-L などが代表例
hybrid 型
- Hartree-Fock 交換積分 $E_\mathrm{x}^\mathrm{HF}$ を一定割合で混合した汎関数
- 非局所的な交換相互作用を正確に取り込める
- B3LYP や PBE0 が広く使用されている
交換・相関汎関数の例
密度汎関数理論(DFT)で使用される代表的な約200種類の交換・相関汎関数を分類すると:
Local
:非 hybrid 型の汎関数- Hartree-Fock 交換を含まない純粋な DFT 汎関数
Disp
:分散力補正を含む汎関数- van der Waals 力などの分散力を適切に記述
下線
:長距離補正を含む汎関数- 電子相関の長距離成分を正確に取り扱う
代表的な汎関数の概要と特徴
密度汎関数理論(DFT)で用いられる汎関数には様々な種類があり、それぞれに特徴があります。以下では、主要な汎関数について解説します。
- 詳細については、以下の公式リソースも参照してください:
基本的な GGA 汎関数
BLYP(Becke-Lee-Yang-Parr)
- 電子密度の勾配を考慮した比較的シンプルな汎関数
- 分子の基底状態の性質を良好に記述
PBE(Perdew-Burke-Ernzerhof)
- 物理的な制約条件を満たすように設計された汎関数
- 固体物理分野でも広く使用
meta GGA 汎関数
- BMK(Boese-Martin functional for Kinetics)
- 化学反応の速度論的研究に最適化された汎関数
- 遷移状態の記述に優れる
- ミネソタシリーズ(M06 など)
- 広範な化学システムに対して高精度な結果を提供
- 特に熱化学データの計算に信頼性が高い
Hartree-Fock 交換項と組み合わせた hybrid 型の汎関数
- B3LYP
- 1990年代から広く使用された代表的な hybrid 汎関数
- 多くの有機分子系で良好な結果を提供
- ただし、長距離電子相関の記述に課題があり、以下の改良版が開発:
- 長距離補正版:CAM-B3LYP
- 分散力補正版:B3LYP-D3
- PBE0
- PBE の hybrid 版で、パラメータフリーな設計
- 無機化合物の計算に特に適している
- PBEPBE
- PBE の別実装で、固体物理での使用に最適化
長距離補正を含む汎関数
- CAM-B3LYP
- B3LYP の長距離相互作用を改善した版
- 励起状態や電荷移動の計算に特に有効
- ωB97シリーズ(ωB97, ωB97-X, ωB97-XD)
- 長距離補正と分散力補正を組み合わせた高性能な汎関数群
- 非共有結合性相互作用の記述に優れる
- LC-BOP
- 長距離補正された軌道間相互作用を含む汎関数
- 電荷移動錯体の記述に適している
分散力補正を含む汎関数
- B3LYP-D3
- 古典的な B3LYP に最新の分散力補正を加えた版
- van der Waals 力の記述が大幅に改善
- ωB97X-D
- 長距離補正と分散力補正の両方を含む高精度汎関数
- 分子間相互作用の計算に特に信頼性が高い
- ミネソタシリーズ(M06-2X, M11 など)
- 経験的パラメータを最適化した高性能汎関数群
- 非共有結合性相互作用の記述に優れる
hybrid 交換・相関汎関数 📊
hybrid 型汎関数は、密度汎関数理論(DFT)の精度を向上させる重要なアプローチです:
- LSDA / GGA / mGGA などの交換汎関数に、Hartree-Fock 交換積分 $E_\mathrm{x}^\mathrm{HF}$ を一定割合で混合します
- この混合により、電子相関効果をより正確に記述できるようになります
- 代表的な例として、BLYP(非 hybrid)と B3LYP(hybrid)があります
hybrid 型と非 hybrid 型(local 型)の性能比較:
- 以下の物性値について平均二乗偏差(RMSD)を比較すると…
NCD
:分子間相互作用エネルギー(非共有結合性相互作用)ID
:異性化エネルギー(構造異性体間のエネルギー差)BH
:反応障壁の高さ(化学反応の活性化エネルギー)
- 以下の物性値について平均二乗偏差(RMSD)を比較すると…
- グラフから明確に hybrid 型汎関数の優位性が示されています:
- 全ての物性値(NCD, ID, BH)において、hybrid 型の方が非 hybrid 型よりも小さな RMSD を示します
- 特に異性化エネルギー(ID)と反応障壁(BH)の計算において、その差が顕著です
- これは、Hartree-Fock 交換項 $E_\mathrm{x}^\mathrm{HF}$ を適切な割合で混合することで、電子相関効果をより正確に記述できるためです
分散力補正 📊
標準的な密度汎関数理論(DFT)の主要な課題の一つは、分散力(van der Waals 相互作用) を適切に記述できないことです
- この制限により、分子集合体における分子間相互作用を過小評価する傾向があります
- 特に、π-π スタッキングや疎水性相互作用などの非共有結合性相互作用の評価に影響を与えます
この問題に対して、Grimme らは革新的な解決策として分散力補正を提案しました:
- 経験的なパラメータを用いて、各原子対に対する引力的なエネルギー項を追加
- 分子力場で使用される手法を応用した実用的なアプローチ
- 計算コストを大幅に増加させることなく実装可能
Grimme の分散力補正の効果を評価するため、補正あり・なしの場合(例:BLYP vs BLYP-D2, BLYP-D3)で物性値の平均二乗偏差(RMSD)を比較すると:
NCED
:分子間相互作用エネルギーIE
:異性化エネルギー
- グラフから得られる結論は明確です:
- Grimme の分散力補正は、計算コストをほとんど増加させることなく、分子間相互作用の記述を大幅に改善します
- この改善により、タンパク質-リガンド相互作用や結晶パッキングなど、実際の分子系をより正確にモデル化できるようになりました
交換・相関汎関数のベンチマーク 📊
Mardirossian & Head-Gordon (2017) は、200種類の密度汎関数についての包括的なベンチマーク研究を行いました:
- グラフの見方:
- 右側の数字は計算精度に基づくランキング(数字が小さいほど精度が高い)
- 左側のラベルは評価対象となった物性値を示します:
NCED
/NCED
/NCD
:非共有結合性の分子間相互作用エネルギーIE
/ID
:構造異性体間のエネルギー差TCE
/TCD
:生成熱などの熱化学量BH
:化学反応における活性化エネルギー障壁
- グラフの見方:
この包括的な比較から、以下の重要な知見が得られました:
- GGAからmeta-GGAへの改良は、必ずしも顕著な精度向上をもたらさない
- 一方、非hybrid型(local型)からhybrid型への変更は、ほぼ全ての物性値において著しい精度向上を実現
🤠 力試し Quiz
密度汎関数理論(DFT)に関する以下の記述のうち、正しいものをすべて選んでください。
- DFT は、Hartree-Fock 法と同様に波動関数を変分的に最適化する手法です。Kohn-Sham 方程式はシュレディンガー方程式を近似したものと考えることができます。
- DFT は、Hartree-Fock 法と比較して、電子間の「電子相関」効果をより正確に取り入れることができる計算手法です。そのため、多くの系でより高精度な計算結果が得られます。
- hybrid 型の汎関数は、Hartree-Fock 交換項を適切な割合で混合することで、非 hybrid 型の汎関数と比べて、エネルギーや電子状態などの物性値の計算精度が向上します。
- DFT で最も広く使われている B3LYP 汎関数は、長距離の電子相関効果を含むため、van der Waals 力などの分子間相互作用も正確に記述できます。
🟩 量子化学計算の代表的な基底関数
基底関数とは?
- 量子化学計算では、任意の波動関数 $\Psi$ を有限個の基底関数と呼ばれる既知の関数 ${\phi_i}$ の線形結合で近似します:
$$ \Psi = c_1 \phi_1 + c_2 \phi_2 + … + c_n \phi_n = \sum_i^n c_i \phi_i $$
この式で:
- $\phi_1, \phi_2, …, \phi_n$ は基底関数(数学的な「基底」として機能)
- $c_1, c_2, …, c_n$ は展開係数(波動関数の形を決定する重み係数)
- $n$ は基底関数の数(多いほど精度が向上するが計算コストも増加)
展開係数を変化させることで、様々な波動関数を表現できます
展開係数とは?
- 量子化学計算では、基底関数 ${\phi_n}$ のパラメータを最初に設定し、その後は展開係数 ${c_n}$ の最適化のみを行います
- 具体的には:
- 基底関数 ${\phi_n}$ は計算全体を通して固定
- 展開係数 ${c_n}$ を変化させることで、波動関数の形を最適化
- この最適化により、系のエネルギーが最小になる波動関数を見つけ出します
基底関数の選び方
基底関数の選択は以下の要因を考慮して慎重に行う必要があります:
- 対象とする分子系:分子の大きさ、含まれる元素、電子状態など
- 計算の目的:求めたい物性値(エネルギー、構造、電子状態など)
- 使用する計算手法:HF法、DFT、MP2法など
基底関数の選択における重要な考慮点:
- 基底関数の数を増やすと、より正確な電子分布の記述が可能になり、計算精度が向上
- しかし同時に、必要な計算リソース(メモリ、CPU時間)も増大し、計算コストが上昇
- そのため、研究の目的や利用可能な計算リソースに応じて、精度とコストの最適なバランスを見つける必要がある
🟩 水素分子の場合
- 水素分子の波動関数 $\Psi$ は、2個の水素原子 $\mathrm{H}_a$ と $\mathrm{H}_b$ それぞれの中心に置いた1s 原子軌道 $\phi_a$ と $\phi_b$ の線形結合として表現できます:
$$ \Psi = c_a , \phi_a + c_b , \phi_b $$
- 水素原子の 1s 軌道については、以下のような厳密解が知られています:
$$ \psi_\mathrm{H1s} = \sqrt{\frac{1}{\pi}} \exp(-r) $$
- この厳密解を参考にして、基底関数として以下のような $\exp(-\zeta r)$ 型の関数(スレーター型関数)を使用することができます:
$$ \phi_a = \exp(-\zeta r) $$
- ここで:
- $\zeta$ は関数の「広がりの程度」を制御するパラメータです
- この関数は水素原子の厳密解に基づいているため、電子分布を高精度に表現できます
- しかし、スレーター型関数には重大な欠点があります:
- 原子核の位置($r = 0$)で関数値が不連続になるため、数値積分が困難です
- その結果、計算効率が極めて悪くなります
- この理由から、実際の量子化学計算ではほとんど使用されません
🟩 ガウス型関数
- 量子化学計算では、スレーター型関数 $\exp(-\zeta r)$ の代わりに、$\exp(-\alpha r^2)$ 型の関数を基底関数として使用します:
$$ \phi_a = \exp(-\alpha r^2) $$
- このような関数を ガウス型関数 と呼びます
係数 $\alpha$ は、関数の「広がりの程度」を制御するパラメータです
- これは量子化学計算の前に設定される定数で、計算中は変化しません
ガウス型関数は原子軌道の近似解であるため、単独では計算精度が高くありません
しかし、以下の理由から計算効率が非常に優れています:
- 上図のように、原子の中心($r = 0$)でも値が連続的であり、数値積分が容易です
- 複数のガウス型関数の積分が解析的に計算できます
計算精度の問題は、異なる広がりを持つ複数のガウス型基底関数を線形結合することで解決できます
- このように組み合わせた関数を短縮型ガウス基底と呼びます
- 例えば、以下のような線形結合を考えます:
$$ \phi_\mathsf{blue} = c_\mathsf{cyan} \, \chi_\mathsf{cyan} + c_\mathsf{pink} \, \chi_\mathsf{pink} + c_\mathsf{green} \, \chi_\mathsf{green} $$ $$ = \left(1.33 \; e^{-0.59 \; r^2_\mathsf{cyan}}\right) + \left(-0.57 \; e^{-1.28 \; r^2_\mathsf{pink}}\right) + \left(0.04 \; e^{+0.06 \; r^2_\mathsf{green}}\right) $$
- 上図の青線で示された短縮型ガウス関数は、赤線で示されるスレーター型関数の形状を良好に近似していることがわかります
基底関数の種類 1️⃣
最小基底系(STO-nG
基底系)
最小基底系とは、各原子の占有軌道に対して1つの基底関数のみを割り当てる最も単純な基底関数系です
代表的な例:
STO-3G
- 3個のガウス型関数(
3G
)を線形結合して、スレーター型軌道(STO
)を近似 - 最も広く使われている最小基底系
- 3個のガウス型関数(
STO-4G
- 4個のガウス型関数で近似
STO-5G
- 5個のガウス型関数で近似
計算精度の比較:
STO-3G
<STO-4G
<STO-5G
- ガウス型関数の数が増えるほど、スレーター型軌道をより正確に近似できる
特徴:
- 計算コストが非常に低い
- 分子の定性的な性質を理解するための初期的な計算に適している
- 計算精度が低いため、実験値との定量的な比較や実用的な解析には不向き
- 教育目的や計算手法の検証に主に使用される
基底関数の種類 2️⃣
Pople 基底系
John A. Pople (1998年ノーベル化学賞受賞)らが開発した実用的な基底関数系
代表的な基底系:
3-21G
:内殻に3個、価電子に2個と1個のガウス関数を使用6-31G
:内殻に6個、価電子に3個と1個のガウス関数を使用6-311G
:内殻に6個、価電子に3個、1個、1個のガウス関数を使用
計算精度は以下の順で向上:
3-21G
<6-31G
<6-311G
特徴:
- 最小基底系と比べて、電子分布をより柔軟に記述可能
- 原子価軌道を複数の関数で表現することで、化学結合の形成をより正確に計算
- 計算コストと精度のバランスが良好
実用的な計算では:
- 基本となる
6-31G
に 分極関数 を追加した6-31G(d)
:非水素原子にd軌道を追加6-31G(d,p)
:非水素原子にd軌道、水素原子にp軌道を追加
- これらの基底系が、有機化合物の構造最適化や反応解析に広く使用される
- 基本となる
🟩 分割価電子(split valence)基底関数
- 内殻軌道と価電子軌道で異なる数の基底関数を使用する基底関数系
- 内殻軌道には1つの短縮ガウス型関数を使用し、価電子軌道には複数の短縮ガウス型関数を使用することで、化学結合の形成をより正確に記述できる
🟩 Pople 基底系の命名規則
🟩 6-31G の構造
内殻軌道の記述
- 6個のガウス型関数を線形結合した1種類の短縮関数を使用
- 化学結合にあまり関与しない内殻電子を効率的に記述
価電子軌道の記述(double zeta (DZ) 型)
- 2種類の関数を使用:
- 3個のガウス型関数を線形結合した短縮関数
- 1個の単独のガウス型関数
- より柔軟な電子分布の記述が可能
- 2種類の関数を使用:
🟩 6-311G の構造
内殻軌道の記述
- 6-31Gと同様に6個のガウス型関数の線形結合を使用
価電子軌道の記述(triple zeta (TZ) 型)
- 3種類の関数を使用:
- 3個のガウス型関数を線形結合した短縮関数
- 1個の単独のガウス型関数
- もう1個の単独のガウス型関数
- より高精度な電子分布の記述が可能
- 3種類の関数を使用:
🟩 具体例:H / C 原子での基底関数の配置
基底関数の種類 3️⃣:相関整合基底関数
高精度計算のための相関整合(Correlation-Consistent)基底系
Thom H. Dunning, Jr. らによって開発された cc-pVnZ 基底関数は、電子相関効果を系統的に取り込める高精度な基底関数系です
- n = D (Double), T (Triple), Q (Quadruple), 5, 6 と基底関数の数を増やすことで精度が向上
- 精度の序列:
cc-pVDZ
<cc-pVTZ
<cc-pVQZ
<cc-pV5Z
<cc-pV6Z
実用的な計算での使い分け:
cc-pVDZ:
- 多くの応用研究で標準的に使用
- 計算コストと精度のバランスが良好
- 定性的な議論に十分な精度を提供
cc-pVTZ:
- より高精度な計算が必要な場合に使用
- 特に化学反応の遷移状態や反応エネルギーを 10 kcal/mol 以下の精度で議論する場合
- CCSD(T) などの高精度な計算手法と組み合わせることで、化学的に意味のある定量的な結果が得られる
分極関数の役割と重要性
- 分極関数(polarization function) は、分子の電子分布をより正確に記述するために導入される高次の角運動量量子数を持つ基底関数です
- 例:s 軌道を持つ原子に p 型関数を追加、p 軌道を持つ原子に d 型関数を追加
- これにより、以下のような効果が得られます:
- 原子の電子雲が化学結合や外部電場に応じて柔軟に変形する様子を表現
- 結合角や分子の立体構造をより正確に記述
- 化学反応における遷移状態の構造予測の精度が向上
重原子(水素以外)への d 型分極関数の追加
- p 軌道を持つ原子(C, N, O など)に d 型関数を追加
- 化学結合の方向性や角度をより正確に記述可能
- 特に sp3 混成軌道などの立体的な電子分布の表現に重要
水素原子への p 型分極関数の追加
- s 軌道のみを持つ水素原子に p 型関数を追加
- C-H 結合などにおける電子分布の非対称性を表現可能
- 水素結合の記述精度が向上
基底関数での表記法 🔤
Pople 基底系での分極関数の指定:
重原子のみに分極関数を追加:
3-21G(d)
または3-21G*
6-31G(d)
または6-31G*
全原子(重原子+水素)に分極関数を追加:
3-21G(d,p)
または3-21G**
6-31G(d,p)
または6-31G**
注:cc-pVnZ 基底関数(n = D, T, Q, 5, 6)では、すべての原子に対して自動的に分極関数が含まれます。
Gaussian での分極関数の設定方法
GaussView では、基底関数選択メニューから簡単に分極関数を追加できます:
分散関数の役割と重要性
- 分散関数(diffuse function) は、電子分布が広がった状態を正確に記述するために導入される基底関数です
- 特に以下のような系で重要になります:
- 負イオン:余分な電子により電子雲が広がっている
- 励起状態:電子が高いエネルギー準位に遷移し、空間的に広がっている
- 分子間相互作用:van der Waals 力などの弱い相互作用を正確に記述する必要がある場合
表記法と指定方法 🔤
Pople 基底系での分散関数の指定:
重原子(水素以外)のみに分散関数を追加:
3-21+G(d)
または3-21+G*
6-31+G(d)
または6-31+G*
すべての原子(重原子+水素)に分散関数を追加:
3-21++G(d,p)
6-31++G(d,p)
Dunning 基底系での分散関数の指定:
- すべての原子に分散関数を追加(aug- prefix を使用):
aug-cc-pVDZ
aug-cc-pVTZ
- より高次の基底:
aug-cc-pVQZ
,aug-cc-pV5Z
,aug-cc-pV6Z
Gaussian での分散関数の設定方法
- GaussView の基底関数選択メニューから、分散関数(Diffuse)を簡単に追加できます:
基底関数の精度と計算コストの比較(VSCF-PT2 計算の例) 📊
- 基底関数の選択は計算精度と計算コストのバランスに大きく影響します:
- 上図は、異なる基底関数を用いた場合の計算精度の比較を示しています。
- 基底関数が大きくなるほど、より正確な結果が得られることがわかります。
🟩 基底関数の選択と計算時間の関係 ⏱️
- 一方で、基底関数のサイズが大きくなるほど計算時間は急激に増加します。
- このため、研究の目的に応じて適切な基底関数を選択することが重要です。
💡 オススメの計算手法と基底関数は?
一般的な有機化合物の基底状態の物性を調べようとする場合、まずは B3LYP/6-31G(d) や B3LYP/6-31G(d,p) を使うことが多いです:
- 原子間の結合距離を定量的に議論するには、最低でも double zeta 精度(
6-31G
)が必要です - 原子間の結合角度を定量的に議論するには、分極関数(
6-31G(d)
)が必要です - より高精度な結果が必要な場合は、triple zeta 精度(
6-311G
)や分散関数(6-31+G
)の使用を検討します
- 原子間の結合距離を定量的に議論するには、最低でも double zeta 精度(
計算コストと精度のバランスを考慮すると:
- 初期の構造最適化計算には B3LYP/6-31G(d) が適しています
- 最終的なエネルギー計算には B3LYP/6-311+G(d,p) などの より大きな基底関数を使用することをお勧めします
計算条件の表記方法
基本的な表記法 🔤
- 量子化学計算の精度と計算コストは、主に計算方法と基底関数の組み合わせによって決定されます
- 一般的な表記法では、計算方法と基底関数をスラッシュ(
/
)で区切って表します - 代表的な例:
B3LYP/6-31G(d)
- B3LYP法と6-31G(d)基底関数の組み合わせMP2/cc-pVDZ
- MP2法とcc-pVDZ基底関数の組み合わせ
複合計算の表記法 🔤
- 異なる精度レベルで段階的に計算を行う場合、ダブルスラッシュ(
//
)を用いて表記します - 一般的な形式:
高精度エネルギー計算//構造最適化
- 具体例:
CCSD(T)/aug-cc-pVTZ//B3LYP/6-31G(d)
- まず、計算コストが比較的低いB3LYP/6-31G(d)レベルで構造最適化を実行
- 次に、得られた構造に対して、高精度なCCSD(T)/aug-cc-pVTZレベルでエネルギー計算を実施
- この方法により、計算効率と精度の両立が可能になります
🤔 金属化合物の場合の注意点は?
金属を含む系の場合、以下の理由により特別な考慮が必要です:
- 電子数が多く、特に内殻電子が多いため、6-31G などの標準的な基底関数では不十分
- 計算コストが非常に高くなってしまう
このような場合の解決策として、内殻電子を近似的に扱う方法があります:
有効内殻ポテンシャル(Effective Core Potential; ECP):
- 内殻電子を固定的なポテンシャルとして扱い、価電子のみを明示的に計算
- 計算コストを大幅に削減しながら、化学的に重要な価電子の挙動を適切に記述
LanL2DZ 基底関数:
- 遷移金属などの重原子に対して広く使用される基底関数
- ECPを組み込んだ基底関数の代表例
- 比較的低コストで信頼性の高い結果が得られる
🤔 水素原子への分散関数の追加が重要な場合
- 以下のような系では、水素原子にも分散関数を追加(6-31G(d,p)など)することが推奨されます:
- 水素結合を形成する分子系
- 分子間相互作用が重要な役割を果たす系
- 水素原子の電子分布の正確な記述が必要な場合
🤠 力試し Quiz
基底関数に関する次の文章について、適切なものをすべて選んでください。
- 最小基底系のひとつである STO-3G は、計算コストは低いが、計算精度は低いので、実験結果との定量的な比較などの実用的な解析に用いることは難しい。
- Pople 系基底関数のひとつである 6-311G は、一般に、同じ Pople 系基底関数である 3-21G よりも柔軟に電子のふるまいを記述できるため、計算精度が高い。
- Pople 系基底関数のひとつである 6-31G などは、固体表面や結晶などの周期性をもつ分子系の電子状態を解析しようとするときに使うことはあまりない。
- 水素分子($\mathrm{H_2}$)についての量子化学計算をおこなう場合、基底関数として 6-31G と 6-31+G(d) のどちらを使っても、全エネルギーなどの計算結果は、まったく同じになる。
- フラーレン($\mathrm{C_{60}}$)についての量子化学計算をおこなう場合、基底関数として 6-31+G(d) と 6-31++G(d,p) のどちらを使っても、全エネルギーなどの計算結果は、まったく同じになる。
- 基底関数には様々な種類があるが、どのような場合でも、量子化学計算プログラムで用いることができる「最も高い精度の基底関数」を選べば良い。
- 負電荷を帯びた分子は、中性分子と比較して電子分布が広がっているので、電子分布の広がりを記述するために、基底関数には 6-31G ではなく、分極関数を加えた 6-31G(d) を用いた方がよい。
🟩 量子化学計算に基づく遷移状態の解析
🤔 量子化学計算による実験の予測と支援
量子化学計算により、化学反応の重要な特性を予測できます:
反応速度の予測
- 活性化エネルギー(反応障壁)の計算
- アレニウス則や遷移状態理論による反応速度定数の理論的予測
反応平衡の予測
- 反応物と生成物間のエネルギー差(反応エンタルピー)の計算
- ボルツマン分布則による平衡状態での物質分布の予測
これらの予測により、実験条件の最適化や反応機構の理解が可能になります
分子の遷移状態
- 化学反応の速度を理解するためには、反応過程における 遷移状態(Transition State; TS) の解析が不可欠です
- 遷移状態とは、反応物から生成物へと変換される際の最もエネルギーの高い状態を指します
- 反応の速度定数 $k$ は、始状態と遷移状態のエネルギー差(活性化エネルギー $\Delta G^{\ddagger}$)を用いて、Eyring-Polanyi 式で表されます:
$$ k = \chi \frac{k_\mathrm{B}T}{h}\exp\left(-\frac{\Delta G^{\ddagger}}{RT}\right) $$
遷移状態に基づく解析の具体例:同位体効果
フッ化水素とクロラジカルの反応 $\mathsf{FH + Cl \rightarrow F + HCl}$ を例に考えます:
水素($\mathsf{H}$)の場合:
- 活性化自由エネルギー:$\Delta G^{\ddagger}$ = 17.26 kcal/mol
- 反応速度定数:$k(298\mathsf{K}) = \frac{k_\mathrm{B}T}{h}\exp\left(-\frac{\Delta G^{\ddagger}}{RT}\right)$ = 1.38 $\mathsf{s}^{-1}$
- (透過係数 $\chi = 1$ として計算)
重水素($\mathsf{D}$)の場合:
- 活性化自由エネルギー:$\Delta G^{\ddagger}$ = 18.86 kcal/mol
- 反応速度定数:$k(298\mathsf{K})$ = 0.0928 $\mathsf{s}^{-1}$
この結果から、以下のことが分かります:
- 重水素置換により活性化エネルギーが約 1.6 kcal/mol 増加
- その結果、反応速度が約 1/15 に低下
- これは典型的な同位体効果の例です
🎈 応用事例:色素材料の円偏光二色性の制御
- 円偏光二色性(CD)は、分子の立体構造に由来する光学特性です
- 量子化学計算により、分子構造と CD スペクトルの関係を理解し、材料設計に活用できます
- 計算により得られる知見:
- 分子構造の微細な変化が CD スペクトルに与える影響
- 最適な分子設計の指針
🎈 応用事例:酵素反応のメカニズムの解析
- 量子化学計算により、酵素反応の遷移状態を特定し、反応メカニズムを原子・電子レベルで理解できます
- 計算により得られる知見:
- 反応の活性化エネルギー
- 遷移状態における原子の配置
- 触媒残基の役割
- 反応経路に沿った電子状態の変化
遷移状態の探索
- 量子化学計算プログラムには、遷移状態を効率的に探索する機能が実装されています
- 単純な「構造最適化の逆操作」($x_\mathrm{new} = x_\mathrm{old} + \alpha \frac{\partial E}{\partial Q}$)では、遷移状態を見つけることは困難です
- 実用的な遷移状態探索では、エネルギーの二次微分($\frac{\partial^2 E}{\partial Q^2}$)から構成される Hessian 行列を活用します:
- Eigenvector Following 法:
- Hessian 行列の負の固有値に対応する固有ベクトルの方向に沿って構造を段階的に更新
- 遷移状態の特徴である鞍点を効率的に探索できます
- 超球面探索法:
- 調和近似($E = \kappa Q^2$)からの逸脱が顕著な方向を探索
- GRRMプログラム で実装されている手法です
- 注意点:
- Hessian 行列の計算には相当な計算リソースが必要
- 通常の構造最適化と比べて計算時間が大幅に増加します
- Eigenvector Following 法:
👋 質問:反応の場などの前提条件は、事前に設定したうえで遷移状態を探索するのでしょうか?
- 遷移状態探索を効率的に行うためには、以下のような前提条件を事前に検討する必要があります:
- 遷移状態の予想される構造的特徴
- 関与する分子や原子の配置
- 反応機構に関する化学的な知見
- これらの条件設定が適切でないと、計算が収束しない、または意図しない遷移状態が得られる可能性があります
👋 質問:遷移状態を見つけるのが難しい場合には?
- Nudged Elastic Band (NEB) 法や string 法 などを用いて、最小エネルギー経路(Minimum Energy Path)を探索する方法があります
- Gaussian で使える?
- 現在のバージョンには実装されていない
- HPC システムズ(株)が開発・販売している Reaction Plus (学術:80 万円、商用:200 万円)というソフトウェアと Gaussian を組み合わせると NEB 計算ができる
- Atomic Simulation Environment (ASE) という Python のモジュールを使えば、NEB 法が無料で使える
💻 実演:Gaussian を用いたブタジエンの cis/trans 異性化反応の解析
遷移状態探索の初期構造の設定
- 予想される遷移状態の構造に近い構造から計算を開始します
- 今回のブタジエンの異性化反応の場合:
- C-C 単結合周りの二面角を約 90° に設定
- これは遷移状態が捻れた構造を持つと予想されるため
Gaussian での遷移状態探索の設定手順
Job Type
セクションで以下を設定:
Optimization
を選択し、以下のオプションを指定:Optimize to a
→TS (Berry)
を選択- Berry のアルゴリズムを用いた遷移状態の最適化を実行
Force Constants
→Calculate at First Point
を選択- 初期構造での Hessian 行列の計算を実行
🟩 遷移状態の特徴:振動解析
- 遷移状態の振動解析では、1つの振動モードに対して負(虚数)の振動数が観測されます
- この負の振動数は、反応座標に沿った構造変化の方向を示しています
🟩 安定構造の数学的特徴
- エネルギーの座標に関する一次微分(エネルギー勾配)がゼロ $$ \frac{\partial E}{\partial Q} = 0 $$
- すべての方向でエネルギーの二次微分が正(局所安定状態) $$ \frac{\partial^2 E}{\partial Q^2} > 0 $$
- これは、エネルギー曲面上で下に凸の放物線を形成することを意味します
🟩 遷移状態の数学的特徴
- 安定構造と同様に、エネルギーの一次微分はゼロ $$ \frac{\partial E}{\partial Q} = 0 $$
- 反応座標方向でエネルギーの二次微分が負(局所不安定状態) $$ \frac{\partial^2 E}{\partial Q^2} < 0 $$
- その他の全方向では二次微分が正(安定)
- この特徴により、エネルギー曲面上で鞍点を形成します
- 反応座標方向:上に凸の放物線
- その他の方向:下に凸の放物線
🟩 量子化学計算による電子励起状態の解析
🤔 量子化学計算で光や熱などの外部要因が化合物の反応性に与える影響を調べることはできますか?
- 量子化学計算を用いて、「光」が化合物に与える影響を詳細に解析することができます
- 具体的には以下のような現象を予測・解析できます:
- 化合物の光吸収・発光スペクトル(波長と強度)
- 光励起後の構造変化や反応メカニズム
- 励起状態のエネルギーと電子状態
光の吸収とは?
- 光のエネルギーが分子を基底状態から励起状態へと遷移させるために消費されるプロセス
- 分子は特定の波長(エネルギー)の光を選択的に吸収します
- 光吸収による電子遷移のエネルギー関係:
- $E_{励起} - E_{基底} = \Delta E = h c / \lambda_{abs}$
- $h$: Planck 定数 ($6.626 \times 10^{-34}$ J⋅s)
- $c$:光速($2.998 \times 10^8$ m/s)
- $\lambda_{abs}$:吸収波長
- この関係式から、吸収波長が短いほど、より大きなエネルギーの電子遷移が起こることがわかります
分子の吸光・発光と基底・励起状態
吸光過程
- 基底一重項状態($\mathrm{S_0}$)の最適化構造から励起一重項状態($\mathrm{S_n}$)への遷移
- 量子化学計算では、まず基底状態で分子構造を最適化する必要がある
- 垂直遷移(Franck-Condon 遷移)として計算される
発光過程
- 励起一重項状態($\mathrm{S_n}$)の最適化構造から基底一重項状態($\mathrm{S_0}$)への遷移
- 量子化学計算では、励起状態での構造最適化が必要
- Stokes シフトの原因となる構造緩和を考慮できる
🎈 応用事例:高効率な有機 EL 材料の分子設計
- 量子化学計算により分子軌道の形状を解析することで、論理的な材料設計が可能になりました
- 具体的な設計指針:
- HOMO と LUMO の空間的重なりを最小化することで、三重項励起状態($\mathrm{T_1}$)から一重項励起状態($\mathrm{S_1}$)への項間交差(ISC)を促進
- これにより、三重項励起子を発光に有効活用できる
🎈 応用事例:環境応答性色素の分子設計
- 量子化学計算を用いて、溶媒環境の変化に応答して発光特性が変化する色素分子を設計できます
- 具体的な解析項目:
- 溶媒効果による励起状態のエネルギー変化
- 分子構造の柔軟性と発光特性の相関
- 分子間相互作用が光物性に与える影響
🎈 応用事例:古代ホタルの発光色を量子化学計算で予測する
- 化石から発見された古代ホタルの発光色を、量子化学計算を用いて推定することができます
- 具体的な解析手法:
- 祖先配列解析から推定される発光酵素(ルシフェラーゼ)の立体構造を基に、励起状態計算を実施
- 発光波長と構造の相関を解析することで、生物発光の進化プロセスを理解
励起状態の計算方法
TD-DFT 法(時間依存密度汎関数理論)
- 励起状態の計算方法として最も広く使用されている手法
- 計算コストが比較的低く、中程度の精度で励起状態を記述可能
- 一重項励起状態の計算に特に有効
🟩 CIS 法 (一電子励起配置間相互作用法)
- 最も単純な励起状態計算法の一つ
- 電子相関効果を考慮していないため、定量的な精度は限定的
- 定性的な励起状態の性質を理解するのに有用
🟩 SAC-CI 法 (Symmetry Adapted Cluster/Configuration Interaction)
- 電子相関効果を高精度に考慮できる手法
- イオン化ポテンシャルや電子親和力の計算にも適用可能
- 計算コストは比較的高い
🟩 CASSCF 法 (Complete Active Space SCF)
- 強い電子相関を示す系に対して特に有効
- 選択した活性空間内での多電子励起を考慮可能
- 活性空間の選択が結果に大きく影響
DFT を用いて励起状態を解析できる?
- DFT は、基底状態の計算において、HF 法と同等の計算コストで、post HF 法に匹敵する精度の結果が得られる可能性があります。
- DFT を時間依存(TD)の問題として拡張したTD-DFTにより、原子や分子の励起状態も解析できます。
- TD-DFT は、化学発光・光触媒・太陽電池・光合成など、光が関与する幅広い分野で活用されています。
- 特に、一重項励起状態の記述に優れており、吸収・発光スペクトルの予測に有用です。
- ただし、TD-DFT を用いた励起状態の解析には以下のような注意点があります:
- 電荷移動励起状態の記述が不正確になる傾向があります
- Rydberg 状態や二重励起状態の記述が困難です
- 汎関数の選択が結果に大きく影響します
Gaussian で TD-DFT を用いて励起状態を計算する
- TD-DFT 計算を実行するには、以下のようなキーワードを指定します:
TD
またはTD=(NStates=N)
: 励起状態計算を実行(N は計算する励起状態の数)TD=(Singlets)
またはTD=(Triplets)
: 一重項または三重項励起状態のみを計算TD=(Root=N)
: N 番目の励起状態の構造最適化を実行
TD-DFT(時間依存密度汎関数理論)の理論的基礎
- TD-DFT は、時間に依存する電子状態を記述するための理論的枠組みです
- 基礎となる時間依存 Kohn-Sham 方程式は、時間依存 Schrödinger 方程式と類似の形式を持ちます:
$$ \hat{h}_i^\mathrm{KS} \phi_i^\mathrm{KS} = i\frac{\partial}{\partial t} \phi_i^\mathrm{KS} $$
線形応答理論を適用すると、励起状態の計算は以下の行列方程式に帰着します: $$ \begin{bmatrix} A & B \\ B^* & A^* \end{bmatrix} \begin{bmatrix} X \\ Y \end{bmatrix} = \omega \begin{bmatrix} 1 & 0 \\ 0 & -1 \end{bmatrix} \begin{bmatrix} X \\ Y \end{bmatrix} $$
この方程式の固有値 $\pm \omega$ が、系の励起エネルギーと脱励起エネルギーを与えます
より単純な近似として、Tamm-Dancoff 近似(TDA) があります:
- 結合行列 $\mathbf{B}$ を無視し、$\mathbf{AX} = \omega \mathbf{X}$ を解きます
- この近似により:
- 遷移モーメントの精度は低下する可能性があります
- 一方で、励起エネルギーの計算精度が向上することがあります
- 計算コストを大幅に削減できます
TD-DFT のベンチマーク(汎関数依存性) 📊
- TD-DFT の計算精度は使用する汎関数に大きく依存します
- 上図は各種汎関数の平均絶対誤差(MAE)を示しています:
- 吸収(absorption)と蛍光(fluorescence)のエネルギーについて評価
- 基準値として高精度な波動関数法による結果を使用
- 主な知見:
- 長距離補正を含む領域分割 hybrid 型汎関数(LC-ωHPBE, CAM-B3LYP など)が高精度
- 従来の hybrid 型汎関数(B3LYP など)は、特に電荷移動励起状態で誤差が大きい
- 蛍光に関するベンチマークデータは限定的であり、結果の信頼性には注意が必要
💻 実演:ホルムアルデヒドの電子励起状態の解析
この実演では、最も単純なアルデヒドであるホルムアルデヒド(HCHO)の電子励起状態を TD-DFT 法により解析します:
🟩 量子化学計算に基づく溶媒効果の解析
🤔 量子化学計算による反応溶媒の最適化
反応溶媒の選択を支援する計算手法:
- 溶媒和自由エネルギーの計算による溶解性の予測
- 遷移状態計算による反応性・選択性の評価
- 分子動力学シミュレーションによる溶媒和構造の解析
量子化学計算を用いた選択性の向上:
- 反応経路解析による反応機構の解明
- 立体・電子効果の定量的評価
- 溶媒効果を考慮した反応障壁の計算
溶液挙動の予測:
- pKa 計算によるイオン化傾向の評価
- 分配係数の予測による溶解度推定
- 会合体形成の熱力学的解析
- 溶媒和ダイナミクスのシミュレーション
溶媒和とは
- 溶媒分子が溶質分子を取り囲む現象のことを指します
- 主な相互作用:
- 静電気力(イオン-双極子、双極子-双極子相互作用)
- 水素結合
- van der Waals 力
- この過程により:
- 溶質が溶媒中に均一に分散
- 溶質-溶媒間の相互作用により安定化
- 溶質の物理的・化学的性質が変化
溶媒効果とは?
- 化学反応や分子の性質に対して溶媒が及ぼす影響のことを指します
- 溶媒効果は以下の要因を通じて化学反応に影響を与えます:
- 溶質の溶解度
- 反応物・生成物の安定性
- 反応速度
- 反応の選択性
- 適切な溶媒を選択することで、化学反応を熱力学的・速度論的に制御できます
具体例:アセチルアセトンの互変異性
- ケト-エノール互変異性の平衡定数は溶媒によって大きく変化します: $$ K_\mathrm{keto-enol} = \mathrm{\frac{[enol]}{[keto]}} $$
溶媒効果の熱力学的解析
平衡定数 $K$ とギブス自由エネルギー変化 $\Delta G$ の関係: $$ \Delta G = -RT \ln K $$
ここで:
- $R$ は気体定数($= k_\mathrm{B} N_\mathrm{A} = 8.314,462 \; \mathrm{J \; K^{-1} \; mol^{-1}}$)
- $T$ は温度(通常 300 K で評価)
溶媒の種類 | keto-enol 平衡定数 | ギブス自由エネルギー変化 |
---|---|---|
気相 | 11.7 | -6.12 |
水 | 0.23 | 3.67 |
ジクロロメタン | 4.2 | -3.58 |
エタノール | 5.8 | -4.39 |
テトラヒドロフラン | 7.2 | -4.93 |
ベンゼン | 14.7 | -6.70 |
シクロヘキサン | 42 | -9.32 |
量子化学計算における溶媒効果の取り扱い
1. 明示的溶媒和モデル(Explicit Solvation Model)
- 溶媒分子を個々の分子として露わに考慮
- より現実的な描像が得られる
- 計算コストが高い
- 溶媒分子の初期配置や配向に依存
2. 暗示的溶媒和モデル(Implicit Solvation Model)
- 溶媒を分極可能な連続誘電体として扱う
- 計算が比較的容易
- 溶媒の誘電率などのバルクな性質のみを考慮
- 特異的な相互作用を考慮できない
- 代表的なモデル:
- Debye-Onsager モデル:溶質を点双極子として扱う
- PCM (Polarizable Continuum Model):溶質の電荷分布を考慮した連続誘電体モデル
Gaussian における溶媒効果の計算
- SCRF (Self-Consistent Reaction Field) 法を使用
- キーワード例:
SCRF=(PCM,Solvent=Water)
- 主な溶媒モデル:
- PCM:標準的な連続誘電体モデル
- SMD:溶媒和自由エネルギーの計算に特化
- CPCM:導体様分極連続体モデル
溶媒効果の具体例:エタノールの溶媒和エネルギー
- エタノール分子の溶媒和エネルギー($\Delta E_\mathrm{sol} = E_\mathrm{sol} - E_\mathrm{gas}$)を量子化学計算により評価
- 計算レベル:
B3LYP/6-31G(d)
- PCM (Polarizable Continuum Model) を使用した SCRF 計算
- 負の値は溶媒和が安定化に寄与することを示す
- 計算レベル:
溶媒 | 全エネルギー (Hartree) | 溶媒和エネルギー (kcal/mol) |
---|---|---|
気相(真空中) | -154.075744507 | 0.000(基準) |
水 | -154.081212575 | -3.431 |
アセトニトリル | -154.081069207 | -3.341 |
シクロヘキサン | -154.077836155 | -1.312 |
- 極性溶媒(水、アセトニトリル)中での安定化が顕著
- 無極性溶媒(シクロヘキサン)では安定化効果が比較的小さい
🙇 おわりに
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- メール:norifumi.yamamoto [at] p.chibakoudai.jp
- ※ [at] を @ に置き換えてください
- 所属:千葉工業大学 工学部 応用化学科
- メール:norifumi.yamamoto [at] p.chibakoudai.jp
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